narrativeとランボーの神話

福井晴敏氏の脚本をノベライズした小説「機動先生ガンダムNT」を読了しました。

ランボーの詩篇「地獄の季節」を引用し、「人の革新」と「未知なる能力を手に入れた人間が成して来た業の連鎖」が改めて繰り返しアンダーラインが引かれていました。

「人智を超えた能力」

それを「人の革新」と呼ぶのか。

それとも戦争の道具として、古今東西の悲劇の連鎖を繰り返すだけなのか。

近松門左衛門先生も書かれているように、最終的には、そういったどうにもならない状況を打開するのは、己を犠牲にしても構わないと悟った勇気あるものなのだと改めて確信させられました。

いつの時代も、人と人の間にある誤解をどのように解消するか。

分かり合えるために、人はいろんな表現をして来ました。

同時に、嘘や偏見、偽り、世間体、空気などによって情報操作し、あらゆる策謀を巡らせて、人の歴史は戦争の歴史でもあります。

村上春樹先生が「1Q84」で引用されていた「金枝篇」を拝読しましたが、どの立場であれ、歴史は同じ過ちを繰り返す。

 

それでも。

可能性を信じられるか。

可能せにかける勇気を持てるかどうか。

なのだと、改めて確信しました。

「AKIRA」も「攻殻機動隊」も「ガンダム」も、いつの時代も人体実験を繰り返し、戦争の技術が向上し、それが一般に転用されると言う連鎖にありました。

いつか、愚かなしがらみを離れて、醜い争いや奪い合い、搾取の無い、分かり合える程にまで、人の革新が起きる事を願います。

「閃光のハサウェイ」の劇場映画化、期待してます。

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