【No music, No life】鈴木重子and木住野佳子「マイ・フェヴァリット・シングス」

鈴木重子and木住野佳子「マイ・フェヴァリット・シングス」をiTunesにて購入。

鈴木重子さんのCDをやんごとなき事情により手離してしまっていたので、ようやく先ず一曲戻ってきました。

「マイ・フェヴァリット・シングス」は大好きな曲で、歌も、ジャズもどのアレンジも大好きです。

鈴木重子さんの歌声では初めて。

優しさに溢れた鈴木重子さんの歌声にとっても合ってました。

そもそも、ウォン・ウィンツァン先生に偶然導かれる様に二子玉のデパートの写真展でお目にかかりお話を伺ったのが最初で、清里フォトアートミュージアムでのチャリティーコンサートを鈴木重子さんとウォン・ウィンツァン先生のお二人で開催されるということで、福祉事務所に許可を得て、チャリティーコンサートに伺ったのが最初でした。

とても素敵なピアノと歌声が共鳴し、倍音を奏で、ここでは無いどこかへと魂を導いて下さいました。

ありがとうございました。

この時は、だいぶ腰の状態が良くなっていた時で、9月半ばから職業訓練に半年通うことになっていて、始まる直前だったので伺いました。

職業訓練はJAVAを習う訓練で、半年間。規約では、
「JAVAを習ったことの無い人、JAVAで仕事したことの無い人」
となっているのですが、実際に訓練を受けてる人の大部分が仕事でJAVAをしていたが、オブジェクト指向に躓いて辞めて訓練に来た人でした。

規約。

私は、愛知県立東山工業高等学校電子工学科と日立時代に、C、C+、COBOL、フォートラン、マシン語を嗜んでおりましたが、JAVAは日立を退職した95年に誕生した言語なので、規約通りの私でした。ヾ(´∀`*)ノ

週5日、毎日半年間、無遅刻無欠席で補習も参加し、教科書に参考書も大量に書い、習得に励みました。

卒業後3ヶ月全力で就職活動しましたが、「40代でプログラムのシステム開発経験が無い」為、何とか面接に辿り着いても、最終的に不合格になってしまいました。

ハードウェアのシステム開発の経験はありますが、ソフトウェアのシステム開発の経験が無い。

結局、3ヶ月経ってもJAVAで就職出来ない場合は、JAVAを諦めて、今までの就職経験で一番長い「写真家」で就職を目指すという事に。

これはハローワークと職業訓練校の規約にそう書いてあり、福祉事務所にもハローワークにも職業訓練校にも言われました。

そして、その3ヶ月に就職活動している時に、パソコンや参考書も持って日比谷図書館に通い、ネットを借りて応募したり、勉強したりしてましたが、腰と膝に負荷がかかり、さらに悪化してしまいました。

完全に治る前に見切り発車したツケが回ってしまいました。

昨年と同じですね。

なぜか、昨年4〜6月に仕事したくなり、いくつかバイトしましたが、中腰の姿勢や思い荷物を持つことが出来ず、腰と膝が悪化し、福祉事務所の担当者からも

「今度は完全に治ってからにしてください」

と言われ、完全に治る様精進しています。

冬や台風、雨の時期は腰と膝の痛みが激しくなり、いまもコルセットが手放せないし、筋肉注射も薬も湿布も必要な状態です。

もう、無理することなく、完全に治るまで、じっくりと治しながら、これまで一番経験の長い「写真家」として復帰できる様、精進したいと思います。

自分を励ます為にも、音楽も必要で、特にご縁のある人の音楽を少しずつ取り戻して行きます。

今後ともよろしくお願い致します。

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