【No music, No life】スガシカオ「ふるえる手」

先週(2月1日)のファンキーフライデーを拝聴していて、「ラブタイム」コーナーでスガシカオさんの「ふるえる手」が流れました。

とても心に残る名曲で、生の切実な痛みが、ダイレクトに心の奥底に伝わってきました。

「ラブタイム」コーナーの締めの時、小林克也さんが「スガシカオの『ふるえる手』いいでしょ。スガシカオよく聴いてる人でも知らない人がいるみたいだけど。」

とお話しされていました。

はい。私です。ヾ(´∀`*)ノ

スガシカオさん大好きで、やんごとなき事情によってCDを手放す前はスガシカオさんのCDたくさん持っていましたし、何度も何度も聴き込んでました。

しかし、この「ふるえる手」は初めて聴いたのです。

お恥ずかしい。

なので、その場でiTunesにてスガシカオさんの「ふるえる手」を購入して今日まで毎日聴き込んで来ました。

「ふるえる手」の父は、本当のスガシカオさんの父のことだと、可能性として考えながら、しみじみと聴き込んでいました。

ふと、今し方、この「ふるえる手」を聴きながら、検索したくなって検索してみると、スガシカオさんのBlogに当たりました。

一部引用。

◉スガシカオ オフィシャルブログ「コノユビトマレ」「ふるえる手」より
https://ameblo.jp/shikao-blog/entry-12125487817.html

【ふるえる手】

“いつもふるえていた アル中の父さんの手” という歌詞ではじまる、アルバムの1曲目『ふるえる手』。

アーティストになると言って会社を辞めた95年、親戚友達知り合い全員に反対されたが、その父のアル中の手だけがおれの背中を押してくれた。

『やれるだけやってみろ

    しくじったらやり直せばいい』

死ぬ前日まで酒を飲んでいた、すでに味の感覚もないくせに。

そんな父の言葉が、その何十年後にアストライドという形になって表れるとは夢にも思わなかった。

2月5日、今日は父の命日です。
やはりお父様の事を歌っていたのですな。
2月5日がお父様の命日ですか。
改めてご冥福をお祈りします。
 
スガシカオさんとは何かとシンクロするところがあります。
 
昨年の3月11、12日に福祉事務所の許可を得て石巻へ伺い慰霊とご挨拶に伺いましたが、その帰り、12日の夜石巻を彷徨いながら撮影していましたら、長い列が出来ていました。
何だろう?と思って近づきますと、スガシカオさんのアコースティックの全国ツアーでした。
震災の命日の翌日に石巻でコンサートされるとは。
そのさり気なさが嬉しかったです。(お金もなくバスば発車するので飛び入りで拝見できませんでした。無念)
 
95年に「決意」をしたのも同じですし、2011年にマイナーになって試行錯誤してたのも、重なります。
 
5歳違いですが、同じ時期に同じ様に迷い、試行錯誤し、やりたいことを信念を持って貫くその姿勢にとても共鳴します。
 
いつか、コンサートに伺える様精進します。

【哀悼】「<東日本大震災>わが子が生きた証し碑に刻む 石巻・日和幼稚園の遺族有志、現場付近に慰霊碑建立へ」河北新報ニュース

河北新報ニュースに、遺族の皆様が慰霊碑建立するというニュースが載っていました。

◉河北新報
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201902/20190206_13008.html


【哀悼】「<東日本大震災>わが子が生きた証し碑に刻む 石巻・日和幼稚園の遺族有志、現場付近に慰霊碑建立へ」

 東日本大震災の津波で犠牲になった私立日和幼稚園(石巻市、休園中)の園児の遺族有志が、石巻市門脇町の被災現場近くに慰霊碑を建てる準備を進めている。「子どもたちを守れなかった記憶と教訓を、後世に引き継がなければならない」。震災8年となる3月中旬までに建立し、語り継ぐ決意と共に、わが子が生きた証しを刻む。

「有事の際はとにかく逃げてほしい。子どもたちのことを伝え、一人でも多くの命を救いたい」と力を込める。碑の建立をきっかけに、伝承の輪が広がることを思い描く。


「祈念公園には多くの人が訪れると思う。私たちの慰霊碑にも足を止めてほしい」と願い、語る。
 「この子たちの命があった証しを残してあげたい。きっともう、親の私たちにはそれしかできないから」

改めて、お悔やみを申し上げます。

慰霊碑が建立された暁には、是非とも慰霊に伺わせて頂きます。