【デジタル庵室】石巻の頁を拡張しました

ワードプレスでは1ページ辺りだいたい300枚までしか入りません。

そんな訳で、4ページ目に拡張しました。

梃子摺りましたが、何とか出来ました。

まだ石巻の疲れも取れてない上に、膝痛と腰痛も酷く、花粉症も酷いので、

デジタル庵室は来週から地道に体の様子を見ながら精進して参ります。

リハビリも来週から本格的に精進します。

花粉最盛期到来

石巻より帰宅ました。

1週間前からずっと鼻水、クシャミが止まらなかったのですが、昨日はもう最悪でした。

井上耳鼻咽喉科さんでオロパタジンをずっと服用させて頂いているのですが、今年はオロパタジンだけでは間に合わない模様。

昨日、篠宮クリニックさんでリハビリ牽引療法と強い筋肉注射を打って頂いたそのあと、井上耳鼻咽喉科さんに伺いました。

「3月16日までが東京の花粉が一番飛ぶ時期です。オロパタジンは効いてます。

マスクもしないで外に出るのはアレルギーをたくさん持ってるし危険です。

併用できる薬と点鼻薬を追加します。」

と言う事で、併用できる薬と点鼻薬を処方して頂きました。

すると、鼻水もクシャミも安定しました。

今日も篠宮クリニックさんへリハビリ牽引療法に伺いましたが、

井上耳鼻咽喉科の井上院長先生の指導の下、マスクを着用して出かけて今戻りました。

マスクの威力すごいです。

田島眼科さんのアレルギーの目薬も効いてます。

ありがとうございます。

どうやら今年は、例年以上に花粉がしつこいです。

年中アレルギーがあるので、オロパタジンは欠かしてませんし、腰痛、首痛、膝痛の痛み止めなどの薬も飲んでいるので、定期的に篠宮クリニックさんで血液検査を受けてますが、薬の副作用の心配はないです。

腰と膝の痛みがピークなので、今日も午前中安静にして寝てました。

まだ疲労が取れない上に痛みがあるので、状態を見て「無理をしないで」リハビリ運動を様子見します。

石巻からの帰り、高速バスの待合室にて読了。

今回も、私に向けて宛てられたパーソナルなヴォイスを感じ取る事が出来ました。

下巻に続きます。

【映画】夏木マリ主演「生きる街」オフコメンタリー

2016年に石巻・鮎川で撮影され昨年公開されました夏木マリさん主演「生きる街」のDVD特典オフコメンタリーでも鑑賞しました。

オフコメンタリーは、映画を流しながら副音声で榊監督と主演の夏木マリさんが場面場面でいろんなコメントを入れてくださってます。

DVD映像特典は他にオフカットなどもありました。

DVDで鑑賞するときは、そう言うオフショットやオフコメンタリーも鑑賞できることで、監督や演者、スタッフの皆様のこだわりや願いが込められたものを再確認できます。

一度映画を見終えたら、トップページが出てきてセレクトできる仕組みになってました。

榊監督が現地で被災された皆様に寄り添っていろいろとリサーチされ、肝だと感じた部分をそのままあるがままに提出するよう心がけているのだと、改めて感じました。

撮影のちょっとした小話や、アドリブを役者に考えさせる監督の手腕に感嘆しました。

お勧めです。

改めて、東日本大地震で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

東日本大震災で被災された皆様の心の復興をお祈りしてます。

【黙祷】3・11東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。被災された皆様の心の復興をお祈りしてます。

2011年3月11日東日本大震災から丸8年が経ちました。

改めて、3・11東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

被災された皆様の心の復興をお祈りしてます。

これからも被災地に心を寄せていけるよう精進して参ります。

【読書】河北新報 特別縮刷版「3・11東日本大震災 カラー版 1ヶ月の記録」(竹書房刊)

明日で丸8年。と言う事で、震災・津波の凄まじさを忘れない為に、ページを開いてじっくり精読しました。

河北新報 特別縮刷版「3・11東日本大震災 カラー版 1ヶ月の記録」(竹書房刊)

震災直後から1ヶ月で何が起き、何が伝えられ、どのように被災された皆様が行動されたのか。その記憶であり、記録であります。

同時に、丸8年経ちいろいろと検証が進み、

「何が伝えられなかったのか。」

「何を意図的に隠されていたのか。」

「どんな隠蔽工作がなされていたのか」

が、改めてよく分かります。

100ミリシーベルトの値がでた少女の話もなく、情報が二転三転している様が、それでも現場で懸命に、被災された皆様が何とか懸命に生きる術を模索されている様が想像されます。

改めて東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

東日本大震災で被災された皆様の心の復興をお祈りしてます。

◉教訓

隠蔽体質は、変わらない。

事実は捻じ曲げられ、伝播される。

その中で、直観に従って行動できるかどうか。

自分の頭で考えて少ない情報の中から正確な情報を咀嚼し、嘘に惑わされず、行動し、互いに助け合う事でその場を乗り切ることの重要性を改めて感じました。

【写真集】「大津波襲来〜石巻地方の記録」(三陸河北新報社刊)

こちらも事あるごとに拝見し、かけがえのない日常の大切さを失わないように、初心を忘れないように、襟を正しています。

「大津波襲来〜石巻地方の記録」(三陸河北新報社刊)

自然の恐ろしさを畏怖と同時に感じながら、自然の大切さをも忘れないよう、様々な皆様のかけがえのない日常の記憶を想像し、胸に刻みます。

膨大な歴史の中に翻弄されながらも、かけがえのない日常を懸命に誠実に生きて行くことの大切さと尊さを感じながら、改めて、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りし、被災された皆様の1日も早い心の復興をお祈りしています。

記憶に留め、忘れない、忘れてはいけないものが、あるのだと、改めて痛感します。

【写真集】「ふるさと石巻の記憶」(三陸河北新報社刊)

毎年、何度も何度も事あるごとに拝見してます。

初心を忘れない為に。

原点回帰。

震災前と震災後の石巻地方の空撮された写真がA3サイズ一杯に写っています。

見開きで、震災前と震災後が見える事で、震災と津波の、自然の凄まじさを感じます。

同時に、そこにあった掛け替えのない日常を想い、追想し、震災に遭われた皆様の痛みを想い、1日も早い心の復興をお祈りしています。

東日本大震災から8年。

復興はまだ道半ばですが、東京にいますと、昨年の北海道胆振東部地震すらも様々な情報の中に埋もれていってしまいそうな感覚に襲われます。

忘れてはいけない事が、この世にはある。

大切な事は忘れない。

改めて、初心に還らせてくれました。

ありがとう御座います。

改めて、東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

東日本大震災で被災された皆様の1日も早い心の復興をお祈りしています。

【映画】夏木マリ主演「生きる街」

先週の金曜日(3月1日)、ラジオ石巻さんの生放送番組を拝聴していましたら、パーソナリテイの松浦佳奈さんが夏木マリさん主演の「生きる街」と言う映画がDVDになって3月2日に発売されるとお話しされていました。

石巻・鮎川を舞台に震災後を生きる人々の生き様を描いた名作で、昨年の3月11日には石巻で舞台挨拶もされていたそうです。

その場で、ネットでポチッと購入ボタンを押しました。

松浦佳奈さん、貴重なお話ありがとうございます。

本日、無事に届き早速DVDを観賞しました。

突然襲った天変地異。あるいは事件・事故。

その衝撃の凄まじさから立ち直るには時間がかかります。

生き延びた人々は、それぞれの痛みを抱えながら、葛藤し、模索し、何かを待ち、死者や面影を想いながら、今を生きる。

「存在とは別の仕方で存在」する何かに導かれ、然るべき刻に、それぞれが感応し合って交感し、それぞれがあるがままを受け入れ、乗り越えてゆく。

ドラマツルギーとは、目に見えない何かが、マクガフィンを媒介として魂の交感を行う事で人間的により深みを獲得するその様そのものとも言えます。

何も無い街。復興途中の街。

その狭間で生き残った人々は死者や様々な面影を背負って生きている。

背負ったものに耐えきれず悲鳴をあげ始めた時、見えない力に導かれて、それぞれがそれぞれの心の痛みを共有しあい交感することで、人間性を深め、逞しく進化してゆく。

それが生き延びた者の責任であり、死者や失われたものから受け取ったバトンを次代へと受け継ぐ事であり、失われし事物の魂を記憶し続ける事でもあると感じます。

涙なしには観られませんでした。

とても名作で感激しました。

素敵な映画を紹介して下さってありがとう御座います。

3月11日に石巻へ行く前に見る事が出来て良かったです。

我々はあらゆるものと目に見えない何かで繋がっている。

また一段階、マトリクスが複雑に高次元になったと感得しました。

東日本大震災から間もなく丸8年

今日で2019年もあっという間に3月に入りました。

あと10日で東日本大震災から丸8年となります。

改めて、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

被災された皆様のこころの復興をお祈りしています。

石巻は、まだまだこれからようやく本格的な災害に強く人と自然が共存する街作りが本格化してきた所です。

これからも石巻の、東北の、被災された皆様の心に寄り添い「無垢なる媒介者」として、「ホメロスの末裔」として、見守り続けさせて頂く所存です。

3月11日にも石巻に伺い、追悼に参加させて頂きます。

風邪も治り、リハビリ運動も昨日から復帰しました。

石巻へ伺わせて頂く前に、最低限の体力を回復させて黙祷を捧げに行かせて頂きます。

世界が平和になります様、お祈り申し上げます。

 

風邪回復

風邪薬と筋筋膜性腰痛、首痛、膝痛の痛み止めなどと共に座薬を使い、副作用でグッスリ眠りました所、風邪は回復しました。

リハビリ運動を行い、お風呂でサッパリし、お風呂で手洗い洗濯をした所、コルセット巻いていましたが、腰と膝の痛みが。

手洗い洗濯は重労働だと改めて認識しましたヾ(´∀`*)ノ

焦らずじっくりとリハビリに専念して完全復活できる様精進します。

明日からまた、篠宮クリニックさんでリハビリ牽引運動と筋肉注射再開です。

来週には、右膝へのヒアルロン酸注射も打って頂かねば。

ここ1週間、安静にしていたので、筋肉の裏側の筋などの痛みもやや収まってますが、今日運動したので、明日の朝、どうなっているか。

湿布も貼っておりますが、じっくりと完全に治るまで、無理をしない。

去年は無理をして悪化してしまいましたし、

福祉の担当者にも「完全に治るまで無理しないでください」と言われております。

腰や膝に負担のかかる労働はまだまだ先です。

が、必ずや復帰できる様精進します。

 

間も無く、東日本大震災から丸8年。

改めて、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

被災された皆様の1日も早い復興をお祈りしてます。

【No music, No life】スガシカオ「ふるえる手」

先週(2月1日)のファンキーフライデーを拝聴していて、「ラブタイム」コーナーでスガシカオさんの「ふるえる手」が流れました。

とても心に残る名曲で、生の切実な痛みが、ダイレクトに心の奥底に伝わってきました。

「ラブタイム」コーナーの締めの時、小林克也さんが「スガシカオの『ふるえる手』いいでしょ。スガシカオよく聴いてる人でも知らない人がいるみたいだけど。」

とお話しされていました。

はい。私です。ヾ(´∀`*)ノ

スガシカオさん大好きで、やんごとなき事情によってCDを手放す前はスガシカオさんのCDたくさん持っていましたし、何度も何度も聴き込んでました。

しかし、この「ふるえる手」は初めて聴いたのです。

お恥ずかしい。

なので、その場でiTunesにてスガシカオさんの「ふるえる手」を購入して今日まで毎日聴き込んで来ました。

「ふるえる手」の父は、本当のスガシカオさんの父のことだと、可能性として考えながら、しみじみと聴き込んでいました。

ふと、今し方、この「ふるえる手」を聴きながら、検索したくなって検索してみると、スガシカオさんのBlogに当たりました。

一部引用。

◉スガシカオ オフィシャルブログ「コノユビトマレ」「ふるえる手」より
https://ameblo.jp/shikao-blog/entry-12125487817.html

【ふるえる手】

“いつもふるえていた アル中の父さんの手” という歌詞ではじまる、アルバムの1曲目『ふるえる手』。

アーティストになると言って会社を辞めた95年、親戚友達知り合い全員に反対されたが、その父のアル中の手だけがおれの背中を押してくれた。

『やれるだけやってみろ

    しくじったらやり直せばいい』

死ぬ前日まで酒を飲んでいた、すでに味の感覚もないくせに。

そんな父の言葉が、その何十年後にアストライドという形になって表れるとは夢にも思わなかった。

2月5日、今日は父の命日です。
やはりお父様の事を歌っていたのですな。
2月5日がお父様の命日ですか。
改めてご冥福をお祈りします。
 
スガシカオさんとは何かとシンクロするところがあります。
 
昨年の3月11、12日に福祉事務所の許可を得て石巻へ伺い慰霊とご挨拶に伺いましたが、その帰り、12日の夜石巻を彷徨いながら撮影していましたら、長い列が出来ていました。
何だろう?と思って近づきますと、スガシカオさんのアコースティックの全国ツアーでした。
震災の命日の翌日に石巻でコンサートされるとは。
そのさり気なさが嬉しかったです。(お金もなくバスば発車するので飛び入りで拝見できませんでした。無念)
 
95年に「決意」をしたのも同じですし、2011年にマイナーになって試行錯誤してたのも、重なります。
 
5歳違いですが、同じ時期に同じ様に迷い、試行錯誤し、やりたいことを信念を持って貫くその姿勢にとても共鳴します。
 
いつか、コンサートに伺える様精進します。

【哀悼】「<東日本大震災>わが子が生きた証し碑に刻む 石巻・日和幼稚園の遺族有志、現場付近に慰霊碑建立へ」河北新報ニュース

河北新報ニュースに、遺族の皆様が慰霊碑建立するというニュースが載っていました。

◉河北新報
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201902/20190206_13008.html


【哀悼】「<東日本大震災>わが子が生きた証し碑に刻む 石巻・日和幼稚園の遺族有志、現場付近に慰霊碑建立へ」

 東日本大震災の津波で犠牲になった私立日和幼稚園(石巻市、休園中)の園児の遺族有志が、石巻市門脇町の被災現場近くに慰霊碑を建てる準備を進めている。「子どもたちを守れなかった記憶と教訓を、後世に引き継がなければならない」。震災8年となる3月中旬までに建立し、語り継ぐ決意と共に、わが子が生きた証しを刻む。

「有事の際はとにかく逃げてほしい。子どもたちのことを伝え、一人でも多くの命を救いたい」と力を込める。碑の建立をきっかけに、伝承の輪が広がることを思い描く。


「祈念公園には多くの人が訪れると思う。私たちの慰霊碑にも足を止めてほしい」と願い、語る。
 「この子たちの命があった証しを残してあげたい。きっともう、親の私たちにはそれしかできないから」

改めて、お悔やみを申し上げます。

慰霊碑が建立された暁には、是非とも慰霊に伺わせて頂きます。

デジタル庵室作業【追記】

午前中は寝ながらストレッチをして体をほぐし、活動できる状態になってから、朝ご飯。

納豆卵野菜炒め丼で栄養摂取。

身支度して篠宮クリニックさんへ通院し、リハビリ牽引療法と診察、ヒアルロン酸注射。

本日は診察が激混みで1時間半待ち。

お忙しい時にヒアルロン酸注射お願いして申し訳ありません。

筋肉注射は看護師さんに打って頂いてますが、膝へのヒアルロン酸注射は院長先生にしかできない。雑菌を防ぎ、どの角度からどう打つか。前回、前々回の打ち方をカルテで確認して、潤滑油が足りてない箇所に、サクッと注射して頂くのです。

今回は風邪で間隔が空いてしまったので、昨日の通院帰りから右膝が痛く、ちょっとの動作でも痛みが激しいので、昨日の午後はずっと寝て安静にしてました。

いつも以上にヒアルロン酸注射を打った後、痛みが激しく、潤滑油として馴染むまで時間もかかり、帰りも足を引き摺りながらゆっくりゆっくりと。

まいばすけっとさんで、卵3パックと納豆6パック。

これで今月分はバッチリです。

お昼納豆卵野菜炒め丼を食べ、痛み止めを飲んで、10分ほど寝てから、デジタル庵室開始。

◉フィルムスキャナーを片付けた状態からセッティングします。

iPad Proの後ろに専用バッグに収まって格納されているフィルムスキャナー。

◉スキャナーセッティング後

寝転んだ状態で、ネガフィルムをフォルダーにセットし、誇りをブロアーで払って、白手袋で念入りにフィルム面を掃除してセット。

300dpiで最大7200dpiまであげてスキャンするのですが、プレスキャン後にトーンカーブやら露光量、コントラスト、カラーバランスなど一枚一枚微妙に変えつつ本番スキャン。

一枚に2〜3分かかります。

途中、腰と膝の痛みから、あるいは痛み止め薬の副作用から眠気に襲われ、仮眠します。

「大竹まことさんのゴールデンラジオ」「デイキャッチ 」「ファンフラ9時間目」とラジオを聴きながら、何とか無事にフィルム一本分スキャン完了。

すぐにフィルムスキャナーを格納します。

晩御飯、納豆卵野菜炒め丼を食べ痛み止め飲み、NHKラジオニュース聴きながら歯磨き中。

これからiMacのAdobe Photoshop CS6でスポッティング、色調整、カラーバランス、アンシャープマスク、ネット用画像加工を施して行きます。

1月に少しずつこのペースでデジタル庵室を行ってきました。

腰と膝の痛みが激しかったり風邪などで身動き取れないときは諦めて安静にして寝ております。

フィルムの時はデジタル時代よりも撮影カット数が少ないですが、大体、これはと思うカットは1本のフィルムに凝縮されてます。

追想し、あの時のあの言葉の意味を問い直し、あの時選ばなかった道を歩んでいるであろうもう一人の自分を想像する。

仮説と反証。

相対化。

さて。ボチボチデジタル庵室開始します。

筋肉注射を打っていないので腰の痛みが激しいです。

湿布貼りました。

※腰と膝の痛みによって起きてられずに一枚だけで寝てしまいました。とほほ。

【デジタル庵室】ネガカラーフィルム劣化問題

今まで時期ごとに色んな形態のシステムを使って写真を撮ってきました。

写真学校時代はモノクロームネガフィルム。

フィート缶からパトローネに自分でフィルムを巻き付けて撮影し、自分でモノクロ現像してました。

その後、カラーポジフィルムを使い、ブローニーサイズから135ミリに移行し、カラーネガフィルムへと。

そしてデジタルと並行して使ってましたが、作品の方もデジタルに変えたのが2006年夏頃です。

今一番問題なのが、カラーネガフィルムです。

2001年〜2006年当時カラーネガフィルムを使ってましたが、現像を安いDPEに出していました。

酒屋や薬局屋やコンビニに回収にくる業者で、同時プリントで5〜600円くらいでした。

はい。どうやら現像、定着がうまく行ってなかったみたいで、色崩れしてたり、カビ生えてたり、現像機トラブルに巻き込まれたネガが散見されます。

当時は同時プリントなので、撮影したカットが全部プリントされていると思ってネガをよく見てませんでした。

2011年、2012年にようやくカラーネガフィルムを見てスキャンしたけど、その時もかなり色崩れや現像トラブルものがありました。

そして今、じっくり、1カットずつ丁寧に見てますと、確かに撮影した思い出が蘇りますが、同時プリント時にプリント見てなかったカットがたくさん出てきます。ヾ(´∀`*)ノ

2011年にも見逃していたカットも沢山あります。

今だからこそ出てきたとも言えますが、何とか丁寧にスキャンして掬い上げてます。

色崩れやカビ、現像トラブルなどのはそのままの状態で行こうと決めました。

まるで、津波が来るのを予期していたかのようなネガフィルムを見ていると、とても愛おしくなります。

もちろん、ゴミなどのスポッティングは一生懸命します。

色合わせも、自分の想い出の色に近づくように心掛けてます。

「写真とは、想い出である」
(森山大道先生)

デジタル庵室で丁寧に、一枚の写真が一体の仏像を作るように、魂を吹き込んで行こうと思います。

腰と膝が痛いので、コルセットを巻きながら、寝転んだ状態で、デジタル庵室を行ってます。

精進します。

【融通無碍】帰一

風邪薬飲んで、眠りながら目覚めながら、微睡みの狭間でつらつらと沈思黙考してますと、どこから考え始めても、禅問答のサーキットにはまり込み、自意識の迷宮を抜け、メビウスの環から弾け出すと、「帰一」へと戻ってしまいます。

そして「帰一」のピースが全てハマり、縁・円・球になった刹那、またリセットボタンから手を離したように、堂々巡りが始まります。

吉本隆明先生が仰られたように、最初の数世紀でほとんどすべてが言い尽くされており、それ以後は枝葉末節にすぎない。

その時代時代に合わせた現実、リアリティーをその時代時代の言葉で参照し引用しているのみ。

それでも。だからこそ、その時代を生きているもののやるべき事として、伝燈を受け継ぎ、その時代の切実なリアリティーを次世代へと受け渡す役割があるのだなぁと、改めて確信しました。

「過去は常に新しく、未来は常に懐かしい」
(森山大道先生)

どうせ全ては「帰一」へと、戻ってしまうのならば、己に与えられた役割を、抗えない運命の力によって、女神様によって導かれたあるがままを受け入れ、咀嚼し、使命を果たす事が、生きることの意味であるのだと感得します。

一即多、多即一

個であり全、全であり個

ミクロの視点とマクロの視点、俯瞰的に、捻れた四次元のマトリクスの彼方からの視点を絶えず意識して、絶えず自己に問いかけ、反証し、「贈与と返礼のルール」の中に含まれて行こうと、コミットメントして行こうと思います。

「ソーブ・キ・プ(生き延びられるものは、生き延びよ)」

【融通無碍】大分回復

夜中にまた発熱し、意識朦朧としたり、明け方4時から、腰と膝の痛みで、寝返りを打ちつつ寝ては起きてを繰り返しましたが、漢方薬が聞き始め、腸の調子が快方に向かいつつあります。

朝ご飯、納豆卵野菜炒め丼を食べ薬を飲み、デジタル庵室少ししてたら薬の副作用で眠りに入り就寝。

起きたら11時で、ニッポン放送の「アッコのいい加減に千回」を聴きつつお昼ご飯。

納豆卵野菜炒め丼で栄養摂り薬を飲んで、少しデジタル庵室。

今眠気が襲ってきてるので、久米宏さんのラジオなんですけどを聴きながら安静に眠ります。

栄養摂って、薬飲んで、安静に寝る度に、少しずつ回復しているのを感じます。

良いタイミングで院長先生に診て頂き、薬を処方して頂きました。

有難うございます。

まずは、風邪を治してから、来週リハビリ運動を再開します。

◉2004年10月/宮城県/石巻市/中瀬北/旧北上川

【融通無碍】冬を想ふ【追記】

東京も、すっかり冬になりました。

真夜中を過ぎて、色々と物想ふ季節です。

ふと、いろんなことを夢想します。

古いネガをスキャンしながら、時間を遡って、光の偏在と共に、「此処にいながらあの日あの時に、同時に存在」しました。

「あの日あの時、確かにそこに、存在したのだ」

映像に証拠能力はとうの昔から既になく、ただ、外部記憶装置として、個人の思いを、思念を宿し、そっとその残り香を発しているような。

「写真とは、想い出である」
(森山大道先生)

その外部記憶装置に触れた時、我々は、かつてあの時感じた事や、あの時の一言について、あの時選ばなかった可能性について、様々な連想と共に沈思黙考しながら此処ではないどこかを旅します。

事物に宿った残留思念を思いつつ、来し方行く末を振り返る。

貴方のお陰で大切なものを心に宿すことが出来ました。

有難うございます。

そして石巻に対する愛情と恩義を繋げて下さり有難うございました。

石巻の皆様に、石巻に関わった皆様に、色々とお世話になった皆様に、ご恩返し出来る様、一層精進して参ります。

素敵な家庭を築いているであろう貴方を想像しながら、貴方の未来に幸福が宿ります様お祈りしております。

本当に有難うございました。

【デジタル庵室】カラーネガを見直しつつスキャンへと【追記】

本日のデジタル庵室一段落。

2011年から2012年にかけて、一度見直して123カットをスキャンして石巻川開きの時に写真展をさせて頂きましたが、

震災から7年経ち、時事刻々と変化する石巻を感得し、ネガをもう一度見直してセレクトを再考してます。

どんどん、これまで見えなかったカットが見えてきます。

年齢と共に成長したのと、俯瞰的に、歴史的に、見られるようになったのだと解釈してます。

年齢を重ねることの良い点として。

 

腰の痛みと膝の痛みが激しいので、寝転び状態でデジタル庵室を行いつつ、腰や膝を途中で安静にして負担をかけないようにして精進してます。

ちょっとの動作でも、コルセット巻いてても痛みが走るので、なんとか耐えつつ精進しております。

杉本博司先生や西行上人、円空上人のように仏に魂を吹き込むように、1枚1枚の写真に魂を吹き込んで参ります。

杉本博司先生の暗室に対する徹底的な拘りに敬意を評します。

妥協のない暗室設備。

徹底した管理体制。

優秀なスタッフによる品質の維持向上。

機能的に使いやすく特注し、(杉本先生自ら手作りし)暗室作業によるプリントに対する姿勢と眼差しに共感します。

スポッティングは明日以降に。

スキャナーに付属してるソフト「Silver fast 8」も大分感覚が掴めてきました。

ネガの種類でも微妙に変わるし、調整の仕方もいろいろあるので、どの組み合わせがベストか、耐えず反証しつつ、最善を選択し続けて参ります。

宜しくお願い致します。

【デジタル庵室】スキャンデータ調整

朝からこの時間まで寝て安静にしていたので、だいぶ回復しました。

その為、2017年にスキャンしてあったデータと先日スキャンしたデータを寝転がりながら、スポッティングして、調整して見ました。

案の定、フィルムスキャンしてるので、スポッティングが大変ですが、杉本博司先生のドキュメントDVDを2012年まで所持していて、その中で、スポッティング作業もされてました。(優秀なスタッフの方と共に。拘り抜いた暗室設備と管理体制と共に)

デジタル庵室では私一人、侘び寂びの境地に浸りつつ、利休先生を想い、千宗屋先生を想い、西行上人や円空上人のように、一体一体に魂を吹き込む如く写真一枚一枚に全身全霊で望みます。

◉2004年12月/石巻市開北/旧北上川

◉2004年12月/石巻市開北/旧北上川沿い

今日からフィルムスキャナー作業へ

風邪も丸一日寝てほぼ治りました。

昨日、デジタル庵室で、2011年7月20日〜21日の石巻の写真をセレクトし、調整し、一段落しました。

毎日少しずつアップし更新しつつ、本日より、少しずつフィルムスキャナーでスキャンしては、スポッティング、色調整、サイズ調整などして行こうと思います。

腰と膝が痛いので、リハビリしながら、寝転んでデジタル庵室作業をしてます。

まるで涅槃像のようです。

寝転んで作業していても、ある程度経つと腰と膝の痛みが激しくなるので、少しずつ作業しては安静にしながら、という感じで行って参ります。

もちろん、2011年から2018年の石巻の写真も調整してセレクトして行きます。

篠宮クリニックの院長先生が仰られましたが、冬は腰と膝の痛みが悪化するとの事で、「無理せず」「焦らず」地道にリハビリしながら、精進して参ります。

宜しくお願い致します。

※iPad Proの写真に取り込んで、スライドショーで確認出来るのでとても重宝してます。

【石巻】供養花火@2011年石巻川開き祭り

2011年3月11日、東日本大震災が発生し、多くの皆様がお亡くなりになりました。

改めて亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

被災された皆様の1日も早い復興をお祈りします。

海難事故などの供養祭として毎年開催されている、石巻川開き祭りですが、2011年3月11日の東日本大震災によって自粛か開催か議論が行われたそうです。

東京をはじめ全国的に様々なイベントや花火など自粛になっていました。

3月には春のピアノ発表会の撮影のお仕事を第一舞台企画さんでやらせ頂いていましたが、震災後からどこも自粛となりました。

数年前の石巻川開き祭りの花火大会の際、ラジオ石巻さんが生放送で中継されているのですが、ゲストに花火師さんがお越しになってました。

花火師さんのお話では、

「2011年は全国的に花火大会が自粛になり、このままでは花火師は首が回らなくなるところまで行きました。

でも、一番被害を受けた石巻さんが1日短縮して2011年7月31日と8月1日の石巻川開き祭り開催を決めた事で、全国的な自粛が緩和され、花火師さん達は何とか凌げました」

とお話しされてました。

それから年々、石巻川開き祭りの供養花火はパワーアップし、今年の花火は音楽に合わせて打ち上げがあったり、西城秀樹さんを偲んでYMCAに合わせて、花火も夜空にYMCAと火の花を咲かせていました。

石巻川開き祭り実行委員会の皆様を始め、石巻に関わった全ての皆様のお陰で、石巻川開き祭りが継続され、それを機に、復興への意志が加速された様に思います。

改めて関係各位の皆様に御礼申し上げます。

そして、石巻の皆様を始め、東日本大震災にて被災された皆様、北海道胆振東部地震で被災された皆様、あらゆる災害、事件、事故に遭われた皆様の1日も早い復興を念願しております。



【追悼】石巻・東交タクシー

石巻市中央にある東交タクシーの車庫兼事務所。

2011年の石巻川開き祭りの時、NIKON D3にハスキーの三脚を付けて歩き回って、ふと呼ばれたと感応した時に、お声を掛け、写真を撮らせて頂き、東日本大震災の時のお話を伺いました。

その時、東交タクシーさんの車庫兼事務所の所で乗務員さんがいらっしゃり、お声をかけさせて頂きました。

東日本大震災の当日、この事務所に当直としていらっしゃった方が、津波にのみ込まれお亡くなりになったそうです。

改めてご冥福をお祈りします。

それ以降、毎回、石巻へ伺わせて頂いた際、この場所の前で黙礼し、哀悼の意を表しています。

貴重なお話を有難うございました。

東日本大震災の記憶を、想い出を、語り部の様に次代へと受け継いで貰える様、精進したいと思います。

【哀悼】石巻中央のお父様【追記】

※お父様が亡くなられたご自宅付近。スキャンしたデータが紛失している為、写真集を複写しました。フィルムスキャナー導入後、新しいのをアップします。(2004年秋頃/石巻市中央/ご自宅付近)

2011年8月1日石巻川開き祭りも残すは花火大会だけとなった夕刻。

旧北上川の中にある中瀬公園から花火が打ち上げられる為、旧北上川沿いへ赴きますと、素敵なご家族が椅子に座って歓談しつつ花火を待っておられました。

とても素敵に感じられ、呼ばれるようにお近くまで伺い、お話を伺いました。

旧北上川沿いの石巻市中央一丁目は、江戸時代からの船着場であり、ここで廻米船から荷下ろしをし、河川の船に乗せ変えて、石巻中央に掘り巡らされた水路を使って配送したり、旧北上川を遡って奥州藤原氏の平泉やその土地土地と交易していたとの事です。

海上船である廻米船と、河川の船との交叉する要衝の地。

それが石巻の歴史であり、かつてはこの石巻市中央一丁目の旧北上川沿いには(船を繋ぐ)綱屋や船に関するお店が多かったそうです。

一本入ったアイトピア通りも昔は水路になっていて、そこには着物やいろいろな絢爛豪華なお店が軒を連ねていたそうです。

ご家族のお父様だけが、この石巻市中央一丁目辺りでは犠牲になられたとの事でした。

「地震があったら津波がくるから日和山へ逃げろ」と皆、この辺の人は知っていて、お父様もご存知だったそうですが、何故かお父様は日和山へ逃げる事なくお亡くなりになられたそうです。

津波が引いた後、家が流されたこの場所にご遺体が戻って来ていたそうです。

それで、お父様のご供養の花火を、この失った実家跡から眺めようとご家族お揃いで花火を見守っておられました。

改めてご冥福をお祈りします。

とても気さくで素敵なご家族で、色々と石巻の歴史などから津波の模様などお話頂きました。

本当に有難うございました。

花火が始まる頃には、この場所に大勢の人が集い、供養花火に想いを託して、復興を誓って、明日に目を向けて立ち向かっているいしが感じられ、厳かな中に明日への希望を感じ、とても幸福な気持ちになりました。

どうか皆様、お元気で、健やかに素敵な人生をお過ごし下さい。

石巻の復興はようやく始まったばかりですが、石巻の、東北の皆様の、自分たちの町の賑わいを取り戻そうとする姿勢がとても伝わって来ます。

微力ながら、写真家である私は、私にできる事で石巻の皆様にご恩返しさせて頂きます。

【追悼】石巻・日活パール劇場支配人清野氏

デジタル庵室で石巻の写真を整理していましたら、震災後の石巻・日活パール劇場の写真が出てきました。

PhotoshopCS6で調整していた時、ふと、日活パール劇場について検索したくなり、検索したところ昨年(2017年)に日活パール劇場支配人の清野氏がお亡くなりになられていた事を知りました。

改めてご冥福をお祈りします。

石巻かほくさんの記事が出て来たので、故人を偲んでリンクし、一部引用させて頂きます。

◉石巻かほく「石巻・日活パール劇場支配人の清野さん逝く 興行一筋60年」

HP:http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2017/08/20170820t13003.htm

 60年にわたって映画館を経営した日活パール劇場(石巻市中央1丁目)の支配人、清野太兵衛さんが5日、心不全のため亡くなった。90歳だった。

 日活の娯楽作品で市民を楽しませ、映画が斜陽になっても成人映画に活路を見いだした。シネコン時代になると地方から個人館が消えていく中、県内唯一の個人館として最後の砦のように奮闘、東日本大震災の津波さえ乗り越えた。

 最後に取材でお会いしたのは昨年7月。天井近い箇所に津波の高さが記されていた。2メートル50センチとあった。「被災から3カ月後には再開したよ。常連の人たちの社交の場だからね」。興行主の意地と誇りを垣間見た。

【東日本大震災】月命日とパレード

早いもので、2011年3月11日から7年9ヶ月が経ちました。

2011年7月31日、8月1日の石巻川開き祭りに伺わせて頂きましたその折、

パレードを待っていらっしゃる皆様にお声を掛けさせて頂き、お話を伺って、写真を撮らせて頂きました。

震災の時、幼稚園バスに乗車されていたお嬢様がお亡くなりになられたご家族とお話をさせて頂き、写真を撮らせて頂きました。

お亡くなりになられたお嬢様は、2011年春に卒園し春から小学校に入学される方でした。

活発で明るいお嬢様で、誰にでも好かれる優しいお嬢様で、ディズニーが大好きだったとお話を伺いました。

それで、2011年8月1日の石巻川開き祭りにディズニーがパレードにくると言う事で、お嬢様の遺影と共にパレードを見に来られたそうです。

月命日の本日、改めてお嬢様の大好きだったディズニーのパレードの写真と共に、獅子舞に遺影を見せられてる写真と共に掲載させて頂きます。

もし、ご不都合があればご連絡頂ければ幸いです。

改めてお亡くなりになられたお嬢様をはじめ、東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。

そして東日本大震災で被災された皆様のご多幸と1日も早い復興を念願致します。

◉2011年8月1日/石巻市中央/アイトピア通り/石巻川開き祭り/ディズニーパレード/遺影と共に