【融通無碍】冬を想ふ【追記】

東京も、すっかり冬になりました。

真夜中を過ぎて、色々と物想ふ季節です。

ふと、いろんなことを夢想します。

古いネガをスキャンしながら、時間を遡って、光の偏在と共に、「此処にいながらあの日あの時に、同時に存在」しました。

「あの日あの時、確かにそこに、存在したのだ」

映像に証拠能力はとうの昔から既になく、ただ、外部記憶装置として、個人の思いを、思念を宿し、そっとその残り香を発しているような。

「写真とは、想い出である」
(森山大道先生)

その外部記憶装置に触れた時、我々は、かつてあの時感じた事や、あの時の一言について、あの時選ばなかった可能性について、様々な連想と共に沈思黙考しながら此処ではないどこかを旅します。

事物に宿った残留思念を思いつつ、来し方行く末を振り返る。

貴方のお陰で大切なものを心に宿すことが出来ました。

有難うございます。

そして石巻に対する愛情と恩義を繋げて下さり有難うございました。

石巻の皆様に、石巻に関わった皆様に、色々とお世話になった皆様に、ご恩返し出来る様、一層精進して参ります。

素敵な家庭を築いているであろう貴方を想像しながら、貴方の未来に幸福が宿ります様お祈りしております。

本当に有難うございました。

【デジタル庵室】カラーネガを見直しつつスキャンへと【追記】

本日のデジタル庵室一段落。

2011年から2012年にかけて、一度見直して123カットをスキャンして石巻川開きの時に写真展をさせて頂きましたが、

震災から7年経ち、時事刻々と変化する石巻を感得し、ネガをもう一度見直してセレクトを再考してます。

どんどん、これまで見えなかったカットが見えてきます。

年齢と共に成長したのと、俯瞰的に、歴史的に、見られるようになったのだと解釈してます。

年齢を重ねることの良い点として。

 

腰の痛みと膝の痛みが激しいので、寝転び状態でデジタル庵室を行いつつ、腰や膝を途中で安静にして負担をかけないようにして精進してます。

ちょっとの動作でも、コルセット巻いてても痛みが走るので、なんとか耐えつつ精進しております。

杉本博司先生や西行上人、円空上人のように仏に魂を吹き込むように、1枚1枚の写真に魂を吹き込んで参ります。

杉本博司先生の暗室に対する徹底的な拘りに敬意を評します。

妥協のない暗室設備。

徹底した管理体制。

優秀なスタッフによる品質の維持向上。

機能的に使いやすく特注し、(杉本先生自ら手作りし)暗室作業によるプリントに対する姿勢と眼差しに共感します。

スポッティングは明日以降に。

スキャナーに付属してるソフト「Silver fast 8」も大分感覚が掴めてきました。

ネガの種類でも微妙に変わるし、調整の仕方もいろいろあるので、どの組み合わせがベストか、耐えず反証しつつ、最善を選択し続けて参ります。

宜しくお願い致します。

【デジタル庵室】スキャンデータ調整

朝からこの時間まで寝て安静にしていたので、だいぶ回復しました。

その為、2017年にスキャンしてあったデータと先日スキャンしたデータを寝転がりながら、スポッティングして、調整して見ました。

案の定、フィルムスキャンしてるので、スポッティングが大変ですが、杉本博司先生のドキュメントDVDを2012年まで所持していて、その中で、スポッティング作業もされてました。(優秀なスタッフの方と共に。拘り抜いた暗室設備と管理体制と共に)

デジタル庵室では私一人、侘び寂びの境地に浸りつつ、利休先生を想い、千宗屋先生を想い、西行上人や円空上人のように、一体一体に魂を吹き込む如く写真一枚一枚に全身全霊で望みます。

◉2004年12月/石巻市開北/旧北上川

◉2004年12月/石巻市開北/旧北上川沿い

今日からフィルムスキャナー作業へ

風邪も丸一日寝てほぼ治りました。

昨日、デジタル庵室で、2011年7月20日〜21日の石巻の写真をセレクトし、調整し、一段落しました。

毎日少しずつアップし更新しつつ、本日より、少しずつフィルムスキャナーでスキャンしては、スポッティング、色調整、サイズ調整などして行こうと思います。

腰と膝が痛いので、リハビリしながら、寝転んでデジタル庵室作業をしてます。

まるで涅槃像のようです。

寝転んで作業していても、ある程度経つと腰と膝の痛みが激しくなるので、少しずつ作業しては安静にしながら、という感じで行って参ります。

もちろん、2011年から2018年の石巻の写真も調整してセレクトして行きます。

篠宮クリニックの院長先生が仰られましたが、冬は腰と膝の痛みが悪化するとの事で、「無理せず」「焦らず」地道にリハビリしながら、精進して参ります。

宜しくお願い致します。

※iPad Proの写真に取り込んで、スライドショーで確認出来るのでとても重宝してます。

【石巻】供養花火@2011年石巻川開き祭り

2011年3月11日、東日本大震災が発生し、多くの皆様がお亡くなりになりました。

改めて亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

被災された皆様の1日も早い復興をお祈りします。

海難事故などの供養祭として毎年開催されている、石巻川開き祭りですが、2011年3月11日の東日本大震災によって自粛か開催か議論が行われたそうです。

東京をはじめ全国的に様々なイベントや花火など自粛になっていました。

3月には春のピアノ発表会の撮影のお仕事を第一舞台企画さんでやらせ頂いていましたが、震災後からどこも自粛となりました。

数年前の石巻川開き祭りの花火大会の際、ラジオ石巻さんが生放送で中継されているのですが、ゲストに花火師さんがお越しになってました。

花火師さんのお話では、

「2011年は全国的に花火大会が自粛になり、このままでは花火師は首が回らなくなるところまで行きました。

でも、一番被害を受けた石巻さんが1日短縮して2011年7月31日と8月1日の石巻川開き祭り開催を決めた事で、全国的な自粛が緩和され、花火師さん達は何とか凌げました」

とお話しされてました。

それから年々、石巻川開き祭りの供養花火はパワーアップし、今年の花火は音楽に合わせて打ち上げがあったり、西城秀樹さんを偲んでYMCAに合わせて、花火も夜空にYMCAと火の花を咲かせていました。

石巻川開き祭り実行委員会の皆様を始め、石巻に関わった全ての皆様のお陰で、石巻川開き祭りが継続され、それを機に、復興への意志が加速された様に思います。

改めて関係各位の皆様に御礼申し上げます。

そして、石巻の皆様を始め、東日本大震災にて被災された皆様、北海道胆振東部地震で被災された皆様、あらゆる災害、事件、事故に遭われた皆様の1日も早い復興を念願しております。



【追悼】石巻・東交タクシー

石巻市中央にある東交タクシーの車庫兼事務所。

2011年の石巻川開き祭りの時、NIKON D3にハスキーの三脚を付けて歩き回って、ふと呼ばれたと感応した時に、お声を掛け、写真を撮らせて頂き、東日本大震災の時のお話を伺いました。

その時、東交タクシーさんの車庫兼事務所の所で乗務員さんがいらっしゃり、お声をかけさせて頂きました。

東日本大震災の当日、この事務所に当直としていらっしゃった方が、津波にのみ込まれお亡くなりになったそうです。

改めてご冥福をお祈りします。

それ以降、毎回、石巻へ伺わせて頂いた際、この場所の前で黙礼し、哀悼の意を表しています。

貴重なお話を有難うございました。

東日本大震災の記憶を、想い出を、語り部の様に次代へと受け継いで貰える様、精進したいと思います。

【哀悼】石巻中央のお父様【追記】

※お父様が亡くなられたご自宅付近。スキャンしたデータが紛失している為、写真集を複写しました。フィルムスキャナー導入後、新しいのをアップします。(2004年秋頃/石巻市中央/ご自宅付近)

2011年8月1日石巻川開き祭りも残すは花火大会だけとなった夕刻。

旧北上川の中にある中瀬公園から花火が打ち上げられる為、旧北上川沿いへ赴きますと、素敵なご家族が椅子に座って歓談しつつ花火を待っておられました。

とても素敵に感じられ、呼ばれるようにお近くまで伺い、お話を伺いました。

旧北上川沿いの石巻市中央一丁目は、江戸時代からの船着場であり、ここで廻米船から荷下ろしをし、河川の船に乗せ変えて、石巻中央に掘り巡らされた水路を使って配送したり、旧北上川を遡って奥州藤原氏の平泉やその土地土地と交易していたとの事です。

海上船である廻米船と、河川の船との交叉する要衝の地。

それが石巻の歴史であり、かつてはこの石巻市中央一丁目の旧北上川沿いには(船を繋ぐ)綱屋や船に関するお店が多かったそうです。

一本入ったアイトピア通りも昔は水路になっていて、そこには着物やいろいろな絢爛豪華なお店が軒を連ねていたそうです。

ご家族のお父様だけが、この石巻市中央一丁目辺りでは犠牲になられたとの事でした。

「地震があったら津波がくるから日和山へ逃げろ」と皆、この辺の人は知っていて、お父様もご存知だったそうですが、何故かお父様は日和山へ逃げる事なくお亡くなりになられたそうです。

津波が引いた後、家が流されたこの場所にご遺体が戻って来ていたそうです。

それで、お父様のご供養の花火を、この失った実家跡から眺めようとご家族お揃いで花火を見守っておられました。

改めてご冥福をお祈りします。

とても気さくで素敵なご家族で、色々と石巻の歴史などから津波の模様などお話頂きました。

本当に有難うございました。

花火が始まる頃には、この場所に大勢の人が集い、供養花火に想いを託して、復興を誓って、明日に目を向けて立ち向かっているいしが感じられ、厳かな中に明日への希望を感じ、とても幸福な気持ちになりました。

どうか皆様、お元気で、健やかに素敵な人生をお過ごし下さい。

石巻の復興はようやく始まったばかりですが、石巻の、東北の皆様の、自分たちの町の賑わいを取り戻そうとする姿勢がとても伝わって来ます。

微力ながら、写真家である私は、私にできる事で石巻の皆様にご恩返しさせて頂きます。

【追悼】石巻・日活パール劇場支配人清野氏

デジタル庵室で石巻の写真を整理していましたら、震災後の石巻・日活パール劇場の写真が出てきました。

PhotoshopCS6で調整していた時、ふと、日活パール劇場について検索したくなり、検索したところ昨年(2017年)に日活パール劇場支配人の清野氏がお亡くなりになられていた事を知りました。

改めてご冥福をお祈りします。

石巻かほくさんの記事が出て来たので、故人を偲んでリンクし、一部引用させて頂きます。

◉石巻かほく「石巻・日活パール劇場支配人の清野さん逝く 興行一筋60年」

HP:http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2017/08/20170820t13003.htm

 60年にわたって映画館を経営した日活パール劇場(石巻市中央1丁目)の支配人、清野太兵衛さんが5日、心不全のため亡くなった。90歳だった。

 日活の娯楽作品で市民を楽しませ、映画が斜陽になっても成人映画に活路を見いだした。シネコン時代になると地方から個人館が消えていく中、県内唯一の個人館として最後の砦のように奮闘、東日本大震災の津波さえ乗り越えた。

 最後に取材でお会いしたのは昨年7月。天井近い箇所に津波の高さが記されていた。2メートル50センチとあった。「被災から3カ月後には再開したよ。常連の人たちの社交の場だからね」。興行主の意地と誇りを垣間見た。

【東日本大震災】月命日とパレード

早いもので、2011年3月11日から7年9ヶ月が経ちました。

2011年7月31日、8月1日の石巻川開き祭りに伺わせて頂きましたその折、

パレードを待っていらっしゃる皆様にお声を掛けさせて頂き、お話を伺って、写真を撮らせて頂きました。

震災の時、幼稚園バスに乗車されていたお嬢様がお亡くなりになられたご家族とお話をさせて頂き、写真を撮らせて頂きました。

お亡くなりになられたお嬢様は、2011年春に卒園し春から小学校に入学される方でした。

活発で明るいお嬢様で、誰にでも好かれる優しいお嬢様で、ディズニーが大好きだったとお話を伺いました。

それで、2011年8月1日の石巻川開き祭りにディズニーがパレードにくると言う事で、お嬢様の遺影と共にパレードを見に来られたそうです。

月命日の本日、改めてお嬢様の大好きだったディズニーのパレードの写真と共に、獅子舞に遺影を見せられてる写真と共に掲載させて頂きます。

もし、ご不都合があればご連絡頂ければ幸いです。

改めてお亡くなりになられたお嬢様をはじめ、東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。

そして東日本大震災で被災された皆様のご多幸と1日も早い復興を念願致します。

◉2011年8月1日/石巻市中央/アイトピア通り/石巻川開き祭り/ディズニーパレード/遺影と共に