村上春樹先生著『騎士団長殺し 第二部 還ろうメタファー編』下巻(新潮社文庫刊)とフィンセント・ファン・ゴッホ

地道に読んできた「騎士団町殺し」もいよいよ最終巻に突入しました。

◉村上春樹先生著『騎士団長殺し 第二部 還ろうメタファー編』下巻(新潮社文庫刊)

最終巻をじっくり読み込むために、久しぶりに「フィンセント・ファン・ゴッホ没後100年記念回顧展図録」をじっくりと見直しました。

ゴッホについて、ゴッホの絵について、ゴッホの恋について、『騎士団長殺し 』の文中で言及されているため、もう一度、ゴッホの生涯について、人生について、ゴッホが何を絵に託したのかについて、見つめ直す事が、必要だと、ゴーストが囁くのです。ヾ(´∀`*)ノ

「タガを外してもいいんじゃないか」
「誠実な娼婦と恋に落ちるとか」
(村上春樹先生著『騎士団長殺し 第二部 還ろうメタファー編』下巻(新潮社文庫刊)より)

あらゆる表現は、人生と密接に関連している。

どのように生き、どんな人々と交流し、どんな人々から影響を受け、人生に何を見出したか。

謎と問いかけ。

物語が、闇の力によって動き出した今だからこそ、原点に立ち戻る為に、ゴッホ先生の人生に触れ、ゴッホ先生が描いた絵に託された何かを読み取る事で、いろんな物事が輻輳し次元を超えて様々に繋がりあってシナプスが複雑に経路を紡ぎ出す。

今週日曜日の「村上radio」までに読了は難しいですが、精読し、何度もアンダーラインを引き続け、心に、魂に刻み込みたいと思います。

私に宛てられたパーソナルなメッセージを魂に、全身に刻み込んでいきます。

【ラジオ】【読書】村上radioプレスペシャルと「北斎と広重」(講談社刊)

午後もお布団の中で横向きに寝た体勢で、腰に負担をかけないまま、デジタル庵室。

途中、仮眠をとり、30分作業して、1時間仮眠の繰り返し。

一日で36枚撮り一本をスキャンするだけで日が暮れます。

夕ご飯に納豆卵野菜炒め丼で栄養摂取し、痛み止めの薬を飲み、アレルギーの点眼、花粉法の点鼻、飲み薬。

歯磨きを終えたら、間も無く夜7時。

村上radioプレスペシャルの時間に間に合いました。ヾ(´∀`*)ノ

◉村上radioプレスペシャル(TOKYO-FM)
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

来週日曜日が村上radio第5弾なので、楽しみです。

村上春樹先生の名著「騎士団長殺し」(新潮社文庫刊)も順調に精読中。第3巻も終わり間近で、いよいよ最終巻に。

村上radioを聴きながら、「北斎と広重」(講談社刊)を観照し、

「北斎と広重ほど違う」(鈴木芳雄先生)

を実感したいと思います。

「北斎と広重」(講談社刊)

何度観照しても、新しい発見があり、色々と示唆に富んでます。

広重先生の奥ゆかしい中にある何かに惹かれます。

ラジオ終わってから、運動して、お風呂、手洗い洗濯などをして明日に備えたいと思います。

精進します。

【読書】アッジェ写真集「巴黎」(リブロポート刊)

寝る前にラジオを聴きながら、アッジェ写真集「巴黎」(リブロポート刊)を観照。

いつ観ても、何度観ても、示唆に富んでいて、新たな発見があります。

「観て、観察して、考える」(アッジェ先生)

アッジェ先生が歩き回り、観て、考えて、観察して、凝視した果てに、<観る/観られる>の関係性が相互に干渉し、共鳴し、一体化しています。

古くから、様々な人々がアッジェの写真について、貴重な評論を遺しているので、言う事は言い尽くされているのですが、言葉にならない「何か」を共有している感覚が残ります。

犯行現場の様でもあり、

「かつて、そこに、在った」(ロラン・バルト)

何かが、何かの気配の重さと深さが、観照者に問いかけています。

事物と呼応し、共鳴し、一体化し、かつてそこに存在した事物の歴史や思い出や記憶をも感じ取りながら、焼き付ける。

無垢な媒介者による記憶の保全であり、同時に語り部でもあります。

そこには、観照者に固有の生のヴォイスが存在し、それを読み取り、聴き取る事が必要となる。

神経を研ぎ澄まし、注意深く集中力を高め、魂を削りながら、想像力を高めて行く。

ここかも知れない何処かへの入り口が、そこに、在る。

と感じます。

原点に回帰するのに大切な一冊です。

【読書】花代写真集「ベルリン」(月曜社刊)

花代さんの写真展を以前、南青山で拝見させて頂いた事があります。

とても親密で素敵な関係性の写真でありながら、自由で直感的なフレーミング、被写体と花代さんの感情がそのままシンクロし、共鳴し、一体化して写真を紡ぎあげている様な感覚です。

花代写真集「ベルリン」(月曜社刊)は、花代さんの生き様が詰まった世界観、人生観そのものです。

花代さんの文章で、花代さんが生きてきた人生のダイナミズムを感じ、その人生そのものがこの写真集「ベルリン」に凝縮されています。

花代さんが歩んできた道のりを想い、そこで見出した日常の中の大切でかけがえのない事物と溶け合い、共有された視線と眼差しによって掬い取られた写真たちで、花代さんの人生を追想させて頂くことで、まだ見ぬベルリンに想いを馳せ、天使の詩に耳を澄ませ、花代さんのこれからに幸がある様お祈りしています。

心が暖かくなり、キュンとし、切なさと儚さと同時に、世界にある愛の可能性を信じられる素敵な写真集です。

何度でも、捲って観照させて頂き、人生の深みを共有させて頂きたいと思います。

素敵な写真集ありがとうございます。

【融通無碍】徐々に運動再開と荒木経惟先生+荒木陽子さん写真集「東京は、秋」(筑摩書房刊)

昨日、篠宮クリニックさんで診察して頂き、強い筋肉注射を打って頂き、朝昼晩夕と4食納豆卵野菜炒め丼で栄養摂取し痛み止めの薬を飲み、湿布を8時間ごとに張り替え、安静に寝ていたお陰で、大分伊丹の閾値が下がり、可動範囲が増えてきました。

昨晩は、通常より1/3ですが、運動、ストレッチ、肩こり体操、腹筋背筋が出来ました。

朝目覚めて、暖房効いている中、お布団の中で、念入りにストレッチ。

ストレッチの後、荒木経惟先生+荒木陽子さん写真集「東京は、秋」(筑摩書房刊)を観照。

荒木経惟先生が中判カメラを担いで、新宿や東京を歩き回り、東京を観察し、一体化し、撮影した写真と、それに合わせて荒木経惟先生と故・荒木陽子さんが二人で写真を見ながら語り合っている文章で構成されています。

1984年に出版されたものの復刻版です。

まだ、病気の兆候もなくお元気だった陽子さんと荒木経惟先生の仲睦まじくも写真に対する鋭い指摘や、当時の光景、お二人の関係性などが写真集全体から醸し出されてます。

写真は1973年頃に撮影されたもので、私がまだ生まれたばかりの頃の東京。

今ではすっかり変わっていまった東京の記憶の記録であり、思い出の集積。

歴史の、人生の、生命の思い出が垣間見え、いろんな示唆に富んでいます。

二人三脚で、絶えず荒木先生と共に佇んでいる陽子さんの面影を感じます。

改めて荒木陽子さんのご冥福をお祈りします。

さて。2019年の東京は、春。

間も無く改元で時代が昭和から平成、平成から令和へと移ります。

世界中のあらゆる事物に、一区切りをつける兆候を感じます。

それでも、思い出や面影は消え去らない。

歴史と共に、生命の起源と共に、我々の一部として、絶えず我々の中に存在していると感じます。

郵便配達員に苦情とリチャードアヴェドン写真集「nothing personal」

座薬を使って痛みを抑えつつ、副作用で寝ていたら、突然、ドアを激しくノックする音が。

名乗りもしない。

何とか痛みを堪えて起き上がり、玄関のドアを開けた所。

新しく変わった郵便配達員が、仏頂面で、「ポストに入らないから」と手に持っている郵便物やライトレターパックを強引に渡してきました。

「判子いるものは。。。」

と言いかけたら、ドアをどかっと閉めて、こちらの言い分も聞かずに去って行きました。

アパートに備え付けのポストはA4サイズは入らないので、そこの下に白い透明の箱を置き、

「大きい荷物は白い箱に入れて下さい」

と書いてあるし、これまでもそう伝え、数年間ずっとクロネコも郵便局もそうしてきてくれてました。

どうやら新しい配達人に情報共有されてない模様で、しかも、箱が見えるのに、目もくれず、部屋で腰から背中、首にかけて激しい痛みがあるので安静にしてる人を急かす様に、ドアをノックし、こちらが返事をしていて聞こえているのに、聞こえないふりをして「坂倉さん」と何度も呼び掛ける。

対応の悪さに、数年ぶりに、杉並郵便局に苦情の電話を入れました。

大きいサイズを入れる箱があって、この数年は郵便局員もクロネコも判子が不必要な郵便物はそこに入れてくれてます。

ぞんざいな態度で、箱にも目もくれず、こちらの言い分も聞かずに、去って行く。

郵便料金も値上げするし、配達員が面倒で、配達せずに捨てたり、横領したりといった事件も起きているのに、民営化してますます対応が悪いのです。

課長に電話し、苦情を伝え、配達した人を指導すると約束してくれました。

ふう。

こちらが筋筋膜性腰痛、首痛、膝痛で弱って座薬で安静にしてる時に限って。

あ。先週も同じことがあったのです。

だから余計にその事を伝えました。

で。届いたのは、どれも判子がいらないレターパックなどでした。

amazonからの中平卓馬先生の名著「なぜ、植物図鑑か」(ちくま学芸文庫刊)

と、

源喜堂さんからのリチャードアヴェドン写真集「nothing personal」ソフトカバー版でした。

リチャードアヴェドン写真集「nothing personal」は、以前は、ハードカバーのを所持して何度も見てました。

残念。

でも、ソフトカバーでも内容は同じ(サイズは小さいですが)なので、無問題。

中平卓馬先生の名著「なぜ、植物図鑑か」(ちくま学芸文庫刊)も、以前、毎日新聞社のところに存在したロイター=サン・テレフォトにてアルバイトしてた時、図書館で借りて精読しました。

その後も、一度購入してましたが、どちらもやんごとなき事情で手放していたのでした。

原点回帰。

森山大道先生と中平卓馬先生が若かりし頃、二人でリチャードアヴェドン写真集「nothing personal」を何度も何度も見て話し合ったと、森山大道先生の著書で知り、その光景を想像したりしました。

リチャードアヴェドン写真集「nothing personal」には、歴史の全てが宿ってます。

人間とは何かを考えるのに外せません。

ソフトカバーですが、何度も何度も観照し、人間とは何か、生命とは何か、存在とは何かなど、色々と沈思黙考し、血肉化したいと思います。

【宇宙】ブラックホール初撮影と事象の地平面

Yahoo!ニュースでブラックホール初撮影と言う記事を発見し興奮してます。

◉「銀河の「起源」解明へ前進 ブラックホール初撮影」(毎日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190410-00000095-mai-sctch

丁度今年に入ってから、竹内薫先生の「ペンローズのねじれた四次元 増補改訂版」(講談社刊)を少しずつ精読しているところで、「事象の地平面」も竹内薫先生の著書で学んだ所でした。

どんどんと謎が解明されるけど、その分さらに謎が謎を呼び、さらに多くの仮説と反証が生み出されていくのですな。

ますます続きが楽しみです。

じっくりゆっくり、行きつ戻りつしながら精読したいと思います。

腰も安静に寝ているとだんだんといつも位の痛みに近づきつつあります。

油断禁物。

無理せず午前中安静にして、午後に様子見します。

座薬と安静とラジオと村上春樹先生の名著「騎士団長殺し 第2部還ろうメタファー編上巻」(新潮文庫刊)

朝ご飯に納豆卵野菜炒め丼を食べ、痛み止めを飲み、湿布を貼り、コルセットを巻いて、座薬を使いました。

座薬の副作用で眠りが訪れ、午前中はゆっくり眠れました。

夜中眠れなかったので、眠れてよかったです。

真冬の様な寒さと雨で筋筋膜性腰痛、首痛、膝痛が激しく痛み、座薬を使ったお陰で、痛みが少しだけ和らぎました。

寝返り打ったり、ちょっと横向いたりするだけでも激しく痛かったのですが、少しだけ可動範囲は広がりました。

でも、痛みはすぐやって来ます。やれやれ。

お昼に納豆卵野菜炒め丼を食べ、痛み止めを飲み、一息。

ラジオを聴きつつ、村上春樹先生の名著「騎士団長殺し 第2部還ろうメタファー編上巻」(新潮文庫刊)の続きを少し読み、イデアについて、広辞苑で調べて見ました。

イデアの存在がキーポイントで、カフカの「城」の様な禅問答が私の考えて来た事にとても刺激を与えてくれます。

広辞苑第6版によりますと、

「イデア【ideas】

もと、見られた もの・姿・形の意。
プラトン哲学の中心概念で、理性によってのみ認識される実在。

感覚的世界の個物の本質・原理。
また、価値判断の基準となる永遠不変の価値。

近世以降、概念、また理念の意となる。
(岩波書店「広辞苑」第6版より)」

ふむ。

村上春樹先生の名著「騎士団長殺し 第2部還ろうメタファー編上巻」(新潮文庫刊)には、ギャツビーの香りがし、マーロウとテリー・レノックスの面影を感じ、カフカの「城」の禅問答を想起させ、カラマーゾフの兄弟を連想させ、複雑に絡み合いながら、ハードボイルドに謎が謎を呼び、関係性の共有と場の共有によって、魂の交感が紡ぎ上げられてます。

倍音を奏で、そこに私宛に向けられたパーソナルなメッセージを読み取りつつ、精読しています。

精読なため、行きつ戻りつしながら、書き込みしながら、沈思黙考しつつ精読するので、一度に数ページが限度です。

集中力が必要とされる。

小説を通して、村上春樹先生と魂の交流を行っている感覚を覚えます。

村上春樹先生の名著「騎士団長殺し 第2部還ろうメタファー編上巻」(新潮文庫刊)も半分すぎました。

ここからどうなっていくのか。主人公と共に、私も成長し、進化し続けたいと思います。

【読書】佐内正史写真集「Trouble in Mind」(マッチアンドカンパニー刊)

個人的に、佐内正史さんの写真集で「生きている」と「Trouble in Mind」(マッチアンドカンパニー刊)が大好きです。

この2つだけ、何度もやんごとなき事情で手放しましたが、その度に取り戻しました。

佐内正史写真集「Trouble in Mind」(マッチアンドカンパニー刊)

佐内正史写真集「Trouble in Mind」(マッチアンドカンパニー刊)は最近取り戻しましたが、ソフトカバーと帯がありません。

。・゚・(ノД`)・゚・。

帯には森山大道先生が、

「この写真集は、もう一つの『写真よさようなら』である」

と書かれてます。

森山大道先生の仰る通り、佐内正史さんが「生きている」で行ってきた研ぎ澄まされた刹那さの集大成であり、この二つの写真集を見比べる事で、佐内正史さんが、どの様に自分を昇華し、進化させていったかが伺えます。

「生きている」に入っていた鳥が二羽舞っている写真が佐内正史写真集「Trouble in Mind」(マッチアンドカンパニー刊)にも入っていて、この色味に合わせて、この研ぎ澄まされた空気感、世界観を押し広げていった名作です。

頁を捲る度に、佐内正史さんが世界と対峙しケリをつけている様子が想像されます。

見るたびに新たな発見があり、私の中の何かを刺激して下さいます。

自分の信じた道を、信念を貫き通すその姿勢を、見習い、精進してまいります。

百年の樽本様、ありがとうございました。

大切に何度でも精読させて頂きます。

【No music, No life】クミコ「織田一枝」と織田作之助「競馬」

クミコさんの「織田一枝」が入ったライブCDが中古のみになっていたので、色々探してようやく入手出来ました。

今年のお正月にニッポン放送で「クミコのオールナイトニッポン」を放送していて、そこで、クミコさんが「織田一枝」を生歌で届けて下さいました。

「織田一枝」というのは、元々は、織田作之助の短編小説「競馬」が原作で、この「競馬」に出てくる妻・一枝をテーマにしています。

織田作之助の自叙伝的な作品であり、この作品を書き上げた後、亡くなった奥様を追うように織田作之助さんも亡くなられました。

それを、マッチアンドカンパニーの町口覚さんと森山大道先生が、写真集にされています。

「DAIDOXODASAKU」(マッチアンドカンパニー刊)

織田作之助さんの「競馬」という小説をこの「DAIDOXODASAKU」(マッチアンドカンパニー刊)で知りました。

とても切なく、奥様への愛情を昇華する為に書かれた名作です。

この小説を基に、寺山修司先生が作詞されたのが「織田一枝」と言う名曲です。

寺山修司先生の生き様ともリンクし、そこに織田作、織田一枝、森山大道先生、町口覚さん、クミコさんの生き様がリンクし、共鳴し、倍音を奏でています。

それぞれの生き延びてきた人生が一体化し、共鳴し、普遍的な愛へと昇華されています。

何度もリピートして聴き込みました。

聴き込むほど、織田作之助さんの奥様に対する愛情が、普遍的な愛の形として具現化してゆくのを感じます。

何度聴いても色褪せません。

いつか、クミコさんのライブで「織田一枝」を聴いてみたいです。

【読書】東松照明写真集「桜 ’66」(ブレーンセンター刊)

東松照明先生の作品はどれも大好きですが、東松照明写真集「桜 ’66」(ブレーンセンター刊)が一番大好きです。

東松照明先生と桜が一体化し、意思も思考も共有化され、彼岸と此岸の境界を越境し、観照者をそこに導いて下さいます。

つい手に取ってページを捲って、思考のマトリクスの彼方へと彷徨しています。

改めて、東松照明先生のご冥福をお祈りします。

東松照明先生の意思を受け継ぐべく、日々、精進して参ります。

【読書】coyote「特集 はじまりの島 ポリネシア、創世の旅をする」

高砂淳二先生のHPで、coyote「特集 はじまりの島 ポリネシア、創世の旅をする」の存在を知りました。

J-WAVEにて高砂淳二先生も登場し、ポリネシアの魅力について語られてました。

そのお話を伺い、これはcoyoteを買わねばと心に誓いようやく届きました。

早速拝読させて頂きました。

巻頭から高砂淳二先生の素晴らしい写真と高砂淳二先生の素敵な文章で、はじまりの島ポリネシアに心が飛んで行きました。

太古の昔、沈んでしまったと言われる大陸。

世界各地にその伝説が残されてますが、高砂淳二先生の文章で、色々と新たな発見が出来ました。

有難うございます。

これからも、何度もページを捲っては、創世の旅をしたいと思います。

有難うございます。

【読書】「町口覚1000」

発刊された時から、ずっと手に入れたいと思っていた「町口覚1000」をようやく入手出来ました。

「町口覚1000」

まるで、J・L・ゴダール監督の「映画史」の様に、引用、編集、再構成される事で、町口覚さんにとっての写真史が、外部記憶装置の様として出来上がっています。

「世界は引用で出来ている」とゴダール先生が仰っていた様に、写真を引用し、復元し、再構成、再編集する事で、新たな、町口覚さんによる写真史が組み上がっています。

様々な示唆に富んでいて、写真史をどの様に、どの角度から眺めるかで、写真史が歴史が、全く違う様相を呈するということを、改めて教えて下さってます。

町口覚さんが捉えた時代の、写真の歴史が、問いかけてくる何かに耳を澄ませ、神経を研ぎ澄まし、魂に直接訴えかけてくる危うい何かを感応する事が、とても心地良く、生命の歴史や、「存在とは別の仕方で存在する」何かについて、より研ぎ澄ませて感応し交響する事が出来ます。

なんども精読し、じっくりと、ここに収められ再構成、再編集された断片の集積の発するメッセージを受け取り受肉と出来るよう精進して参ります。

【読書】「日本カメラ」2019年4月号

本日、「日本カメラ」2019年4月号が到着しました。

ありがとうございます。

早速精読させて頂きました。

やはり今回も、瀬戸正人先生が執筆された渾身の「深瀬昌久伝」に感銘を受けました。

「売れない写真家」の系譜こそ、写真家の王道だと改めて痛感しました。

自分を信じ切る事。

それしか無いのだと、今回の瀬戸正人先生の深瀬先生を語りつつ自身をも語られている熱い文章に励まされました。

自分を信じ切る。

「才能とは夢を見続ける力の事ですよ」(鴻上尚史先生)

それしか無いのだと、改めて覚悟を決めました。

有難うございます。

【読書】尾仲浩二先生写真集「背高あわだち草」

低気圧の影響で、腰痛とひざ痛、首痛が激しいため、安静に寝て、コルセットに湿布と薬で凌ぎました。

朝起きてゴミ出し。

お布団に戻って、横向きに寝ながら、尾仲浩二先生の名著を精読させて頂く。

尾仲浩二先生写真集「背高あわだち草」

尾仲浩二先生の原点であり、その光景の前に佇みながらその情景に何かを見出している尾仲浩二先生の立ち姿が見えてきます。

人生とは終わりのない旅であり、1988年から91年の光景でありながら、現在、未来をも内包していて、どれだけ観ても、何度観ても、新たな発見があります。

森山大道先生、石内都先生東松照明先生から受け継がれてきた写真家の王道の意思を感じます。

その王道の意思を受け継げる様、日々、精進して参ります。

【読書】森山大道先生著『NAKAJI』(講談社刊)

歯磨きしたり、ちょっとした合間にも、いつでも、すっと魅入ってしまう名著です。

森山大道先生著『NAKAJI』(講談社刊)

安井仲治先生へのオマージュであった著書に名作を加えてマッチアンドカンパニーの町口覚さんが再編集して再構成した名著です。

名作は、どの様な媒介になっても、パーソナルなメッセージを確実に、届けて下さいます。

その典型的な名作の再編集です。

トイレでも、歯磨き途中でも、出掛けるバスの待ち時間でも、ちょっとした刹那に観照させて頂く事で、何かが、インフルエンサーとして、影響を与えてくれます。

私の中の何かが、感応し、交響し、倍音を奏で、私の中にある何かが覚醒するのを感じます。

どの頁から観ても、どの様に観照しても、何かを示唆し導いてくれる何かが媒介となって下さいます。

名著です。

森山大道先生の意思を受け継げる様精進します。

【読書】佐内正史写真集「生きている」

ふと思い立ったら、良く精読、観照させて頂く写真集。

佐内正史写真集「生きている」

町口覚さんと佐内正史さんが二人で練り上げ産み落とされた写真集。

これが佐内正史さんの原点であり、その後に芽吹く多様な要素がそこここに見出されます。

この写真集は復刻版で青幻舎さんが発行してます。

良く研ぎ澄まされたナイフのようであり、対照に全身全霊をもって向き合って交信し交感し感応し合ってます。

鑑賞者が隙を見せると、異次元に入り込んでしまいそうな、刹那の何かをそっと紡ぎ上げてます。

同年代として、とても刺激を受け、自分を律し、己の全身全霊をもって導かれた事物や対照と響きあいたいと、心を新たにするのでした。

一葉一葉の写真に、全身全霊を込め、一体の御仏を彫り上げる様に、精神を集中して望みたいと思います。

【読書】村上春樹先生著『騎士団長殺し〜第1部頼れるイデア編』上下巻(新潮文庫刊)

少しずつ精読し、読み込み咀嚼しながらようやく読了しました。

【読書】村上春樹先生著『騎士団長殺し〜第1部頼れるイデア編』上下巻(新潮文庫刊)
ちょうど2年前に新刊で発売されましたが、予算の都合で読めていませんでした。

しかし、第1部を精読させて頂いた所、「今、私が読む時だったのだ」と確信できました。

この本には、私に宛てて発せられているパーソナルな生のヴォイスが存在していて、確かにその「生のヴォイス」を受け取りました。

とても切実に、心の痛みを共有する事が出来ました。

2011年2月に、善福寺から今の高円寺に戻って、一人でもう一度始めようと決意しこれまで色々巻き込まれながら、示唆され導かれながら、ここまで辿り着いた私の心の奥底に共鳴し、倍音を奏でて下さいました。

2年前ではまだ、心の準備が出来ていなかったと思います。

ようやく私も自分の運命とやらと真っ当に、誠実に、公正に、取っ組み合いながら写真家として生きていく決意を固めた所に、この村上春樹先生の名著『騎士団長殺し』を精読する事で、自分の立ち位置と佇まい、志を、俯瞰的に振り返る事が出来ました。

有難うございます。

オペラ「ドン・ジョバンニ」も大好きで、安川智子先生にオススメして頂いた名盤DVDに加え、新国立劇場で観劇した新制作「椿姫」の演出家の「ドン・ジョバンニ」DVDも以前何度も繰り返し鑑賞しており、騎士団長について、ありありと想像出来ました。

換骨奪胎。

ここにはギャツビーの香りが漂い、マーロウとテリー・レノックスの面影も感じられます。

この先第2部でどう展開されていくのか、間も無く発売される第2部を心待ちにして、待ちたいと思います。

「待つこと」の重要性。

村上春樹先生は、いつも、私のリアルタイムな現実と想像の境界を多様な角度から眺めるのに素晴らしいタイミングで著書や訳書、エッセイなどを出して下さり、1つのパーソナルなカンガルー通信として役立ってます。

有難うございます。

お勧めです。

【読書】河北新報 特別縮刷版「3・11東日本大震災 カラー版 1ヶ月の記録」(竹書房刊)

明日で丸8年。と言う事で、震災・津波の凄まじさを忘れない為に、ページを開いてじっくり精読しました。

河北新報 特別縮刷版「3・11東日本大震災 カラー版 1ヶ月の記録」(竹書房刊)

震災直後から1ヶ月で何が起き、何が伝えられ、どのように被災された皆様が行動されたのか。その記憶であり、記録であります。

同時に、丸8年経ちいろいろと検証が進み、

「何が伝えられなかったのか。」

「何を意図的に隠されていたのか。」

「どんな隠蔽工作がなされていたのか」

が、改めてよく分かります。

100ミリシーベルトの値がでた少女の話もなく、情報が二転三転している様が、それでも現場で懸命に、被災された皆様が何とか懸命に生きる術を模索されている様が想像されます。

改めて東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

東日本大震災で被災された皆様の心の復興をお祈りしてます。

◉教訓

隠蔽体質は、変わらない。

事実は捻じ曲げられ、伝播される。

その中で、直観に従って行動できるかどうか。

自分の頭で考えて少ない情報の中から正確な情報を咀嚼し、嘘に惑わされず、行動し、互いに助け合う事でその場を乗り切ることの重要性を改めて感じました。

「日本カメラ」2019年3月号(日本カメラ社刊)

アマゾンで注文しても、予定日を超えても届かず、「発送が遅れてます」とメールだけ。

結局1週間待ってもまた遅れる気配濃厚だったので、去年の一件もあり(アマゾンが全面的に謝罪したけど民事訴訟手続をしようと思えば出来ますが)アマゾンとは縁切りをし、いつも購入させて頂いている近所のブックス オオトリさんで購入。

無事に手に入って良かったです。

「日本カメラ」2019年3月号(日本カメラ社刊)

やはり今回も瀬戸正人先生が追走されている「深瀬昌久伝」が一番心に沁みました。

深瀬昌久先生の佇まいや姿勢などが目に浮かぶような愛に溢れた素敵な描写で、深瀬昌久先生と瀬戸正人先生の関係性の深みが感じられます。

いつか一冊の本にして頂けると嬉しいです。

最近、瀬戸正人先生の名著「アジア家族物語〜トオイと正人」(角川ソフィア文庫刊)を取り戻しました。

やんごとなき事情で手放してしまいましたが、ようやく取り戻せました。

少し拝読させて頂きましたが、やはり情景が目に浮かぶ素敵な文章で、引き込まれました。

じっくり精読したいと思います。

第4回村上RADIO「アナログ・ナイト」

2ヶ月に一度の「村上RADIO」も第4回になりました。

村上春樹先生の所持するアナログ・レコードを丁寧に拭きながら、慎重に針を落としてかけている姿が想像出来ました。

◉第4回村上RADIO公式HP
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

音楽と、音楽にまつわるちょっとしたエピソード、そして村上春樹先生の何気無い日常が垣間見えるお話が、とてもお気に入りです。

もちろん、今、ラジコのタイムフリーでもう一度聴きながらブログ書いてます。

そして、今回も番組の締めの一言が胸に突き刺さりました。

「人は心の穴を埋める為に音楽を聴き、小説を読む。或いは、音楽を奏で、小説を書く。」

その叫びの様なものが、共感を呼び、倍音を奏で、異化作用を及ぼしていく。

村上春樹先生のいつものお言葉ですが、いつ聞いても、どんな言葉から引用しても、心に響きます。

そして。私は、心の穴を埋める為に、写真を撮り、発表する。

心のその箇所に、かつてあった「何か」を、誰かに伝える為に。

ホメロスの末裔たる語り部として。

2月28日に村上春樹先生の長編小説「騎士団長殺し」が文庫化されるとのこと。

村上春樹先生の小説は読んで来ましたが、これだけはやんごとなき事情によって読めていません。

なので、早速、予約しました。

楽しみです。

第5回の村上RADIOは4月ですね。

楽しみに待ってます。

「君が独りの時、本当に独りの時に、誰もできなかったことを成し遂げろ」( ジョン・レノン)

ツイッターでジョン・レノン先生の名言が流れてきて、とても刺激を受け共感しました。

「君が独りの時、本当に独りの時に、誰もできなかったことを成し遂げろ」
( ジョン・レノン)

「人間は、実は、独りなのだ」と鴻上尚史先生を始め、多くの人が仰ってます。

だからこそ、ほんの少しでも互いに分かり合えることが出来れば、と言う希望を持って、人は自分の想いを形にしたり表現し交信しあう。

先人たちから学び、受け入れ、咀嚼し、「いま、ここ」を生きている自分の生の切実なリアリティーを体現し、次の世代へと託します。

その時、本当の、孤独と言うものと向き合い、問いかけ、仮説を立て、反証し、命を削って、他の誰かでは無い「何か」を現すために、敢えて孤独を求め、ある人は深い井戸に潜り、ある人は地下を通って鉱脈を探し、ある人は森の中を彷徨う。

孤独に耐えられなければ、その探求する途中に横たわる邪悪な何かに取り込まれてしまう。

村上春樹先生は、「悪意の暗闇を潜り抜けて、自分の鉱脈を見つけ出して、戻ってくる」と話してます。

「孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように」(釈尊)

2011年からこれまで、ようやく本当の孤独というものに向き合うことが出来ました。

孤独に耐えながら、自分の鉱脈を掘り続ける作業を行っています。

背骨の変形による筋筋膜性腰痛と首痛、膝痛と闘いながら、己のやるべき事を、全身全霊でもって、命を削りながら、一体一体の仏を削り出すように、その仏に命を吹き込むように、丁寧に真心を込めて体現しています。

「その時が来たのだ」と感得できました。

それが、今まで生きて来た理由の一つなのだと確信してます。

ジョン・レノン先生とオノ・ヨーコ先生の名曲が、私を勇気付け叱咤激励して下さいます。

竹内薫先生の名著『ペンローズのねじれた四次元』精読中

主にトイレで竹内薫先生の名著『ペンローズのねじれた四次元』を鋭意精読中です。

相対論では、もはや、≪本当≫と≪見かけ≫の区別は無意味となる。(竹内薫先生の名著『ペンローズのねじれた四次元』P63より)

今まで寄り道してきたあらゆる事物が、繋がっていくのを感得してます。

解体と再構築。

事象の地平線

シュヴァルツシルト半径

発想の転換

反復現象

ひもからブラックホール

時空の歪み=物質の存在

などなど。

菅木志雄先生の名著ともリンクしながら、ねじれながらも「つまようじ理論」の様に永遠に間延びしていく感覚を覚えます。

相対論と量子論の狭間に生まれた「スピノール」をネットワーク化すると時空が生まれると言う。

探し求めていた始まりと終わりのヒントが、ここに、在る。

精読し、アンダーラインを引き続け、沈思黙考し、抽象思考のサーキットを広げつつ狭めてゆく。

何度も精読させて頂き、脳内を整理して一つ次元の枠を超えたいと思います。

素敵な本をありがとうございます。

【融通無碍】帰一

風邪薬飲んで、眠りながら目覚めながら、微睡みの狭間でつらつらと沈思黙考してますと、どこから考え始めても、禅問答のサーキットにはまり込み、自意識の迷宮を抜け、メビウスの環から弾け出すと、「帰一」へと戻ってしまいます。

そして「帰一」のピースが全てハマり、縁・円・球になった刹那、またリセットボタンから手を離したように、堂々巡りが始まります。

吉本隆明先生が仰られたように、最初の数世紀でほとんどすべてが言い尽くされており、それ以後は枝葉末節にすぎない。

その時代時代に合わせた現実、リアリティーをその時代時代の言葉で参照し引用しているのみ。

それでも。だからこそ、その時代を生きているもののやるべき事として、伝燈を受け継ぎ、その時代の切実なリアリティーを次世代へと受け渡す役割があるのだなぁと、改めて確信しました。

「過去は常に新しく、未来は常に懐かしい」
(森山大道先生)

どうせ全ては「帰一」へと、戻ってしまうのならば、己に与えられた役割を、抗えない運命の力によって、女神様によって導かれたあるがままを受け入れ、咀嚼し、使命を果たす事が、生きることの意味であるのだと感得します。

一即多、多即一

個であり全、全であり個

ミクロの視点とマクロの視点、俯瞰的に、捻れた四次元のマトリクスの彼方からの視点を絶えず意識して、絶えず自己に問いかけ、反証し、「贈与と返礼のルール」の中に含まれて行こうと、コミットメントして行こうと思います。

「ソーブ・キ・プ(生き延びられるものは、生き延びよ)」

シャアとは何だったのか?【追記】

福井晴敏氏の脚本をノベライズした小説「機動戦士ガンダムNT(narrative)」と福井晴敏氏の脚本をコミック化した「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)虹に乗れなかった男〜ブライト・ノア ストーリー」を拝読し、TV「ユニコーン」もこれまで全話二度鑑賞してきました。

初代ガンダム本放送から今年で40周年。

その第一弾として「機動戦士ガンダムNT」劇場作が公開されていますが、今回の全てに共通する根源的な問いは唯一つ。

「シャアとは何だったのか」

初代ガンダム以前のシャアがシャアとして、赤い彗星となってゆく過程も描かれました。

リアルタイムでガンダムを、富野由悠季先生を追って来た私は、テレビアニメや劇場映画だけでなく、小説版の「ガンダム」シリーズも拝読して来ました。

初代ガンダム、Z、ZZ、逆襲のシャア、ハイストリーマー、閃光のハサウェイと来て、「ガイア・ギア」があったのですが、富野由悠季先生はこの「ガイア・ギア」を無かった事にしてしまいました。

内容は、シャアの遺伝子から作られた主人公ア・フランシ・シャアの冒険譚と言ったところです。

福井晴敏氏のUC計画に合わせて、「ガイア・ギア」をなくすことで、人工ニュータイプにシャアの意思を継がせ、「フル・フロンタル」と「ゾルタン・アッカネン」にシャアの意思を分裂させる事で、フル・フロンタル(英語で、「全裸」特に身体の前側が露出している状態を指す。これから転じて、「全面的な」「徹底的な」という意味でも使われる。by Wikipedia)がユニコーンの主人公バナージを導き、後を託す事で、シャアの純粋で理想を追い求めた部分を昇華させました。

そして、シャアの残忍で復讐のために手段を選ばない部分を「ゾルタン・アッカネン」に受け継がせる事で、シャアの復讐心をnarrativeの主人公三人(三位一体)の鏡像とする事で、悲哀と憎悪を相対化させ、昇華させてゆく。

「フェネクス」とはかつてシャアがクワトロと名乗ってエゥーゴに参加し、アムロやブライトと共に戦った際に搭乗した百式の進化形態だと確信。

利権や己の自己保身、権力欲しか考えないくだらないオールドタイプに愛想を尽かし復讐と救済を敢行したがアムロと対峙する事で二人の魂はララァに導かれて虹の彼方へと昇華されるはずでした。

しかし、人の可能性を示しても、利権や天下り、権力争いにしか目が向かない権力者への怨念が、残留思念となって、それを利用しようとする者も現れる。

いつの時代も同じですな。

そんな怨念の残留思念を昇華するために、次世代ニュータイプのリタとミシェルとヨナが三位一体となり、初代ニュータイプ世代の雄であるシャアの魂を、残留思念を成仏させ昇華させる過程を、輪廻転生の如く辿った悲劇を描いたものだと思います。

相対化。

福井晴敏氏の原作小説ではフル・フロンタルがこの二つの側面を徹底的に体現していたそうですが、あえて二つに分ける事で、引き受ける存在との相対化を明確にし、昇華することに成功したと感じます。

シャアの理想と復讐の王道を相対化し昇華する事で、次の100年を宇宙戦争時代として描くために、「人の革新」神話を神話として語らせたのだと感得しました。

リアルタイムで富野由悠季先生の作品や言動からニーチェの思想や有形無形のものを受け継いで来た我々は、ようやく「何か」から解放され魂の一部が昇華されたと確信出来ました。

それでも。

少しずつ、人の革新は進んでいるとしんじる今日この頃です。

詳しくは、下記サイトが詳しいです。

◉ピクシブ百科事典「フル・フロンタル」
https://dic.pixiv.net/a/フル・フロンタル

 

ランボー回想

ノベライズ小説『機動戦士ガンダムNT』に引用されていたランボーの詩篇「地獄の季節」について、いつ頃から出逢っていたのだったかと、ふと回想していました。

J・L・ゴダール監督の『気狂いピエロ』で引用されていたのがまず最初に連想されます。

私とゴダール先生の作品との出逢いはかなり遅く、日立を退社し、写真家として生きて行くために日本写真学園に入学した1年目の事でした。1995年。

池袋で「ゴダール・ゴダール・ゴダール」と銘打って、ゴダール特集していた映画館があり、

「これは全部見なくては」

と言う、啓示のような衝動に駆られ毎週通いました。

池袋の他の映画館でもゴダール特集が続き、そちらでは後でDVD購入した「ゴダールの映画史」などを拝見しました。

narrativeでも引用されていた部分が同じような境遇的精神の主人公によって参照されていて、とても印象深かったのを覚えています。

更に、回想を深めていくと、小学生の時に遡りました。

小4だったか、当時の担任の富田先生が詩が大好きな先生で、情熱的な人でした。

毎日、有名無名関係なく、富田先生の心を揺さぶって来た詩を紹介して下さいました。

生徒にも定期的に詩を書かせ、学級新聞を作って、気に入った詩を載せて下さいました。

その中に、ランボーの詩があった気がします。

いろんな詩を、いろんな可能性を教えて下さり、一番印象深く私に影響を与えて下さった先生でした。

私の本好きな中に詩と言う分野の扉を開けて下さった、恩師であります。

ある時、クラスでちょっとした事件が起きました。
どんな事件かはもう忘れましたが、ふとした事で、その事件の犯人たちを知ってしまった私は、アンビバレントな精神状態を掻い潜り、オートポイエーシスの綱渡の果てに、その名を伏せて、詩に認めました。

富田先生は、その意を汲んで、その詩を、名を伏せて学級新聞に載せて下さいました。

犯人の名前も出てこない。

事件そのものも書かれてない。

ただ、その事件に取り憑かれた「何か」を、言葉にしたのです。

先生も事件には触れず、この詩の良さを皆の前でお話しして下さいました。

嬉しさと、恥ずかしさと、戸惑いと、「なんでこんな詩書くんだ」と言う声にならない声が聴こえて、緊張の糸が張り詰めていました。

同時に、何かを表現すると言うことは、こういった色んなプレッシャーに耐えながら、孤独に耐えながら、全てをさらけ出していく事なのだと、学びました。

「小説を書くことは、真っ裸で銀座のスクランブル交差点に大の字で寝転ぶことだ」

と偉大な小説家が書かれていたのを思い出します。

富田先生はその後、同じ港区のバスで30分程の学校へ転勤され、何度か年賀はがきのやり取りをしました。

長い手紙を頂いた事もあります。いつか、ご恩返しができれば嬉しいです。

同時に、夭折の天才だったランボーを想うと、村上春樹先生が仰る「デッドマンズカーブ」に辿り着きます。

詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。それさえ過ぎてしまえば、当分はうまくなんとかやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった。

伝説の不吉なカーブ(デッドマンズカーブ)も通り過ぎたし、照明の暗いじめじめとしたトンネルもくぐり抜けた。あとはまっすぐな六車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けてひた走ればいいだけだ。

我々は髪を切り、毎日髭を剃った。

我々はもう詩人でも革命家でもロックンローラーでもないのだ。

酔っ払って電話ボックスで寝たり、地下鉄の車内でさくらんぼを一袋食べたり、朝の四時にドアーズのLPを大音量で聴いたりすることもやめた。

つきあいで生命保険にも入ったし。ホテルのバーで酒を飲むようにもなったし、歯医者の領収書をとっておいて医療控除を受けるようにもなった。 なにしろもう28だもんな。
(村上春樹著「ニューヨーク炭鉱の悲劇」より)

残念ですが、デッドマンズカーブは、永遠に続く。

これが、この10年で学んだ私の結論。

同時に、とても刺激的で、面白い。

死ぬまで、諦めるまで、デッドマンズカーブは続く。

目に見えない、宇宙の意志のような「何か」に導かれ、女神様に導かれ、与えられた役割を、己の役目を、やるべき使命を、全うする為に、「メリーゴーランドのデッドヒート」を繰り返しているのかも知れません。

誰も抜かないし、誰にも抜かれない。

narrativeで、人の革新によって覚醒したものは、楽園を追われてゆく。

片子と呼ばれたハーフの人々のように。

ダビンチやベートーヴェン、バッハなど、特殊な才能を持った人々が孤高になっていくように。

それまでの常識を覆す何かが、エポックメイキングを起す媒介者となった人々の末路は、いつも同じ。

金枝篇のように。

それでも。

可能性を信じて、自分のやるべき事をやるしか無いのだと、改めて確信しました。

2月の予算で小林秀雄先生翻訳のランボー「地獄の季節」(岩波文庫刊)を購入し、じっくり精読したいと思います。

また見つかった。

何が。

楽園を追われた時に必要なものが。

narrativeとランボーの神話

福井晴敏氏の脚本をノベライズした小説「機動先生ガンダムNT」を読了しました。

ランボーの詩篇「地獄の季節」を引用し、「人の革新」と「未知なる能力を手に入れた人間が成して来た業の連鎖」が改めて繰り返しアンダーラインが引かれていました。

「人智を超えた能力」

それを「人の革新」と呼ぶのか。

それとも戦争の道具として、古今東西の悲劇の連鎖を繰り返すだけなのか。

近松門左衛門先生も書かれているように、最終的には、そういったどうにもならない状況を打開するのは、己を犠牲にしても構わないと悟った勇気あるものなのだと改めて確信させられました。

いつの時代も、人と人の間にある誤解をどのように解消するか。

分かり合えるために、人はいろんな表現をして来ました。

同時に、嘘や偏見、偽り、世間体、空気などによって情報操作し、あらゆる策謀を巡らせて、人の歴史は戦争の歴史でもあります。

村上春樹先生が「1Q84」で引用されていた「金枝篇」を拝読しましたが、どの立場であれ、歴史は同じ過ちを繰り返す。

 

それでも。

可能性を信じられるか。

可能せにかける勇気を持てるかどうか。

なのだと、改めて確信しました。

「AKIRA」も「攻殻機動隊」も「ガンダム」も、いつの時代も人体実験を繰り返し、戦争の技術が向上し、それが一般に転用されると言う連鎖にありました。

いつか、愚かなしがらみを離れて、醜い争いや奪い合い、搾取の無い、分かり合える程にまで、人の革新が起きる事を願います。

「閃光のハサウェイ」の劇場映画化、期待してます。

「クミコさんのオールナイトニッポン・プレミアム」(ニッポン放送)

大晦日の18時から20時30分にかけて、「クミコさんのオールナイトニッポン・プレミアム」(ニッポン放送)が放送され、生放送を拝聴しました。

そして年明けた元日の朝も、radikoのタイムフリーでもう一度拝聴しながら朝食を頂きました。

◉「クミコさんのオールナイトニッポン・プレミアム」(ニッポン放送)
http://www.allnightnippon.com/news/20181221-35566/

クミコさんの素敵なお喋りと上柳アナウンサーとの絶妙な掛け合い、松本隆先生との生電話での打ち解け話など盛りだくさんな内容で、改めてクミコさんのお人柄が伺い知れました。

そして何よりも、藤原さんのピアノ伴奏での生ライブにとても感銘を受けました。

小説家・織田作之助先生が描いた名作「競馬」を基に寺山修司先生が語りと歌に書き起こした名曲「織田一枝」が心の琴線に触れ、過去のいろんなあれこれがフラッシュバックして自然と涙が滲んで来ました。

「祈り」も「最後だとわかっていたなら」も「わが麗しき恋物語」も大好きで、iTunesで購入して何度も拝聴して来ましたが、大晦日に拝聴させて頂き、涙が溢れて来ます。

「織田一枝」という曲は初めて聞きました。

マッチアンドカンパニーの町口覚さんと森山大道先生が出版された「Daido Moriyama:Odasaku」で、織田作之助先生を初めて知り、「競馬」の話に涙しつつ、森山大道先生の写真と織田作の世界観が共鳴し倍音を奏で、私宛に向けたパーソナルなメッセージを受け取りました。

◉マッチアンドカンパニーHP
http://www.matchandcompany.com/index.php

クミコさんが生歌で歌って下さった「織田一枝」がさらにそこに共鳴し、倍音が更に重層化し更なる次元へと誘って下さいました。

クミコさんのデビュー25周年メモリアル・エッセイ「わが麗しき恋物語」(講談社刊)を拝読させて頂き、クミコさんの人生に触れさせて頂き、クミコさんの歌の持つ人生観、世界館がクミコさん御自身と共鳴し一体化されていて、カバー曲もオリジナル曲も一曲一曲に込められた想いが心の奥底にダイレクトに伝わって来ます。

東日本大震災の当日、コンサート直前のリハ中に被災され、石巻の皆様と一緒に避難され、それ以降、石巻や東日本大震災の被災された皆様の心の復興にご助力されていらっしゃっていて、大変感銘を受けました。

クミコさんの生き様が、被災された皆様の心に寄り添われ、多くの皆様の心が暖められました。

やんごとなき事情で病気療養中の私の心も暖めて下さり、誠に有難うございます。

歌とは、人生であり、生き様なのだと、改めて感得させて頂きました。

調べた所、名曲「織田一枝」がCD化されているのは2004年11月に渋谷Bunkamuraシアターコクーンで行われたライブの音源化されたものだと判明しました。

予算の都合上、暫くかかりますが、是非ともCDを購入させて頂こうと予算に計上させて頂きました。

◉クミコさんオフィシャルサイト
http://www.puerta-ds.com/kumiko/discography/index.html

そしていつかは、クミコさんのライブにも伺わせて頂こうと思います。

年末年始から素敵な番組に出逢えて平成最後の年末年始を素敵に過ごせています。

ありがとうございます。

『日本カメラ1月号』(日本カメラ社刊)

本日、近所のブックスオオトリさんで『日本カメラ1月号』(日本カメラ社刊)を購入しました。

今月号も読み応えたっぷりで堪能しました。

瀬戸正人先生が描く「深瀬昌久先生の情景」が今月号も心に突き刺さります。

そして、風間克美氏の「地方私鉄1960年代の回想」と復刻版「provoke」。

どちらも1960年代。

私の生まれる前であり、まだ、理想を共有することが出来ると信じられていた時代。

そして、理想が現実に敗れ去った時代。

高度経済成長と戦争特需に支えられた反戦運動と理想主義。

その反動が、個々人に対して

「どのように敗れ去ったか」

を今現在、問われている気がします。

復刻版「provoke」を2月の予算に計上し、待ちわびようと思います。

ゴドーを待つように。

屋根裏で待ち続けた赤毛のアンのように。

情報戦と目に見えない地球規模の覇権争いの先にあるのは、一体何なのか。

現在を生きている我々に問われているのは、情報とAIの特異点を彷徨うマトリクスの中で、

人間とは何なのか。

心とは何なのか。

人とAI、ゴーストを区別することは、我々には出来ない。

自己犠牲の精神に根差した、近松門左衛門先生の描き残した、洞窟壁画に遺された、目に見えない大切なものを保持し共有し探求し続ける好奇心を、どんな状況でも持ち続けるハードボイルドな精神なのだと、改めて確信した年末でした。

「どんな状況においても軽口とユーモアを忘れない精神」

をハードボイルドと言うと、鴻上尚史先生が仰られてました。

悪魔に魂は売らない。

何があっても、慈愛の精神と人間性を失わず、オートポイエーシスの綱渡を切れることなく渡り続けようと思います。

日本カメラさん、佐々木秀人編集長、来年も宜しくお願い致します。

武田花先生の連載も大好きです。

飯沢耕太郎先生の写真展・写真集評も刺激になります。

クイーンズ伊勢丹さんお薦めチリ産赤ワインで酔っ払った頭を白湯で冷ましつつ、

アレサ・フランクリンさんを偲んで拝聴して年末を過ごすのでした。

 

さて。本日の運動しようっと。

 

坂道AKB『誰のことを一番愛してる?』について想ふ【追記】

坂道AKB『誰のことを一番愛してる?』という曲を聴きこみ、色々と考えてます。

欅坂46のDVD「欅共和国2017」でこの曲を初めて観て聴いた時、ある種のメランコリックな切なさと共に、涙が自然と溢れて来ました。

同時に、過去のいろんな大切な人々の断片がフラッシュバックしました。

走馬灯の様に。

人が死ぬ時に見る様な。

「眼差しで聴いたのに・・・」

と平手友梨奈さんが、メンバーが、片目に手を当てて透視する様な仕草で周りをサーチする演技の時に、心の奥底まで見透かされた様な感覚を感得しました。

アムロ・レイのいう分かり合える感覚とちょっと違う、でも、自分が抑え込んでいた「何か」を誘い昇華してくれる様な感覚と言うべきか。

何だか、平手友梨奈さんが、「行方不明になる前の少佐」にダブって見えます。

全てを達観し、個を特定するために多くの必要な要素を求めて彷徨っている様な。

そんな全てをリセットして、霊的な存在へと、上部構造へと移行しようとしているかの様な。

◉「攻殻機動隊シリーズ名台詞」NAVERまとめ
https://matome.naver.jp/odai/2136041394225560001
「人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自分が自分であるためには、驚くほど多くのものが必要なのよ。他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる掌、幼かった頃の記憶、未来の予感・・・それだけじゃないわ。私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり、それら全てが<私>の一部であり、<私>という意識そのものを生み出し・・・そして、同時に<私>をある限界に制約しつづける。
草薙素子(GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊)

たとえ想像上であれ、誰かを殺す必要はない。としか言えない。

「僕らの責任は想像力の中から始まる。
イェーツは書いている。」
(村上春樹先生『海辺のカフカ』より)


絶望の中に希望がある様に、物事にはおしなべて、「良い面」と「悪い面」があり、そのどちらを見つめるか。その両方をまとめて引き受けられるか。

個であり全、全であり個
宮崎駿著『風の谷のナウシカ・トルメキア戦役編』
一即多、多即一
杉浦康平先生

世の中の全てを善と悪の二元論に還元することは出来ない。白から黒のグレーのグラデーションの狭間で我々は日々、反証しながら徳を積み生きている。

肉体と精神を保ったまま、上部構造へ移行する段階まで、我々は一歩ずつ、直観を頼りに、分かり合える人と分かり合う努力をし続けていくしかないのだと、改めて思います。

孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく、
林の中の象のように

釈迦

生き急ぐのは危険。

重要なのは答えではなく、疑問を抱き続けること。謎を謎として受け止め、常に開いた状態にしておくこと。

絶えず反証し、問いかけ続けることで、疑問が新たな何かを引き寄せる。

二律背反のオートポイエーシスは、成長するために必要なものであると、内田樹先生は名著『最後の授業』の中で確信を持って話されています。

オドルンダヨ。オンガクノナリツヅケテイルカギリ。
村上春樹先生『ダンス・ダンス・ダンス』

善き人々の交信してくる「声」を聞き分け、チャンネルを合わせ、直観を頼りにバランスを保ちながら、オートポイエーシスを乗り越えていくことで、成長し続けられる。

好奇心と探究心を失わずにいれば、大切な何かを失うことなく、最後まで、他者の痛みと交感し共鳴することでいつまでも純粋な魂を保ち続けられると信じて生きていくしかないのだと、改めて思うのでした。

平手友梨奈さんの魂よ、何処へいく?

良い方向に導かれるよう祈ってます。

竹内薫著『ペンローズのねじれた四次元(増補新版)』(講談社刊)鋭意精読中【追記】

竹内薫先生の名著『ペンローズのねじれた四次元(増補新版)』を鋭意精読中です。

竹内薫先生の著作は、10年ほど前から色々拝読させて頂いて来ましたが、デビュー作である『ペンローズのねじれた四次元(増補新版)』は、不勉強でその存在すら知りませんでした。

どの本もとても分かりやすく、例え話や喩、対話形式、脱線と伏線など科学やこの世界の、宇宙の本質を理解するのにとても勉強になりました。

やんごとなき事情によって、購入させて頂いていた竹内薫先生の著書たちも手放してしまいましたが、先日、竹内薫先生のツイートを拝見して、『ペンローズのねじれた四次元(増補新版)』の存在を知り、購入に踏み切りました。

◉講談社「相対論と量子論の暗黙の了解を覆した「ペンローズ」とは何者か〜名著のプロローグ「鍵」を特別公開!」HP:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58525?media=bb

早速、アンダーラインを引きまくり、メモや考えを書いたりしつつ精読してます。

のっけからとても面白く、分かりやすいです。

頭の中を整理しながら、新たな知見や未知の話を繋げていける感覚が心地いいです。

疑問が一つ解消すると、倍以上の新たな問いや疑問が沸き起こり、ワクワクしながら精読させて頂いてます。

きっと、『ペンローズのねじれた四次元(増補新版)』に呼ばれて、ようやく読むべき時期が来たのだと解釈してます。

今まではまだ準備が出来てなかったのだと。

幾つになっても新しい、未知の領域に、好奇心を持って探求していけるよう精進します。

素敵な本を増補新版で出して下さりありがとうございます。

何度も精読し、アンダーラインを引き続けたいと思います。

 

※Twitterのツイートをサイトに埋め込もうとしましたが、ワードプレスの今の状況ではサーバーエラーとなってしまいました。

スクリーンショットでリンクします。

◉Twitter@竹内薫先生
URL:https://twitter.com/7takeuchi7/status/1067253349081202688

欅坂46「平手友梨奈さんダンス活動休止」

欅坂46の公式HPで平手友梨奈さんのダンスなどの活動休止が発表されました。

◉欅坂46公式HP:http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/news/detail/O00135?ima=0000

これまでも何度か活動休止されていて、ライブ中にステージから転落して救急搬送されたりと、平手友梨奈さんの体調を含め心配です。

役やパフォーマンスに憑依的に入り込み圧倒的なパフォーマンスを発揮する平手友梨奈さん。

その代償として、多くの憑依的な役者や芸術家の例に漏れず、不安定になる脆さがあります。

まだ17歳なのに、欅坂46だけでなく、AKB、坂道グループを背負って、秋元康先生のグループを牽引している。

そのプレッシャーが、有形無形に平手友梨奈さんにのしかかって来ている。

そう感じます。

周りの大人が、気を配って、平手友梨奈さんを守ってあげられる様な環境を望みます。

今年の主演映画『響』も拝見し、以前のブログに書いたのですが、原作からプロット、プロットからシナリオ、シナリオから映画にするところで、大切な「何か」が抜け落ちてしまった印象を得ました。

それが、平手友梨奈さんがオールナイトニッポンやスクールオブロックでの映画番宣の時の発言の重たさに現れていたと感じます。

秋元康先生が作曲した平手友梨奈さんのソロ曲『角を曲がる』が最後のエンドロールで流れた事で、映画の、響の、平手友梨奈さんの「何か」が引き留められ、完成度があげられた様に感じます。

平手友梨奈さんが響と一体化し「角を曲がる」という曲によって昇華された。それによってこの映画「響」は救われた。そう感じます。

iTunesで欅坂46の音楽やMVを購入し拝聴してますが、そのパフォーマンスの完成度の高さと、そのパフォーマンスを最も発現しその世界観を全て背負って観るものに「何か」を伝える表現者の一線を超えてある領域、高みにまで到達していると感得しました。

平手友梨奈さんよ、何処へ行く。

私に出来る事は、見守り、間違った方向に進まない様に、だれかの思惑に乗せられたりしない様に、自分の生き方を生き続け、表現し続け、生き続けて欲しいと祈るばかりです。

【読書】朝井リョウ著『何者』(新潮文庫刊)

朝井リョウさんを初めて知ったのは、加藤千恵さんと二人でパーソナリティーを務めていた「オールナイトニッポン0」(ニッポン放送)でした。

ラジオっ子の私は、やんごとなき事情から2013年からラジオだけの生活をしてました。

腰の痛みと膝の痛みもあり、夜中、眠れない時が多く、深夜ラジオをよく聴いてました。

もちろん今も痛みで眠れない時や聴きたいパーソナリティーのラジオは拝聴してます。

朝井リョウさんと加藤千恵さんの掛け合い漫才のようなテンポの良さと回転の速さ、ラジオが好きでラジオの可能性を追求してる姿勢がとても耳心地よかったです。

そして現在、「高橋みなみさんと朝井リョウさんのヨブンのこと」(文化放送)も大好きで拝聴してます。

「チームY」を自覚してます。ヾ(´∀`*)ノ

そんな訳で、朝井リョウさんの直木賞受賞作『何者』を拝読しました。

《やりたい事》と《やるべき事》

《理想》と《現実》

インターネットが一般的に定着し、スマートフォンからSNSに書き込み、「何者か」を演じ分けられる時代。

匿名として自己を分裂させることで、本音と建前の乖離を、オートポイエーシスを乗り切ろうとする若者たち。

《就活》と言う現実を前に、本音と建前の境界線が崩され、匿名性と思っていたインターネットの暗部に飲み込まれ、全てが白日の元に曝け出されていく。

演じ分けていたと思い込んでいた自分を暴かれる若者たちと、自分の愚かさを受け止めて、本音を出し切ろうと足搔く主人公の姿勢が、切実に、リアルに描かれてます。

本日の「津野米咲さんのKOIKIなポップロックパラダイス」にゲスト出演されていた朝井リョウさんが仕掛けたドッキリに、ラジオが好きで可能性を追求する朝井リョウさんの真骨頂を垣間見ました。

他の作品も拝読させていただこうと思います。

第3回「村上Radio」@FM-TOKYO

12月16日(日)に放送されました、第3回「村上Radio」。

◉村上Radio HP:https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

第3回も堪能させて頂きました。ビーチ・ボーイズの「蛍の光」のア・カペラとても良かったです。
渋いセルフカバーも大好きです。

人生の荒波を乗り越えて新たな探求と好奇心を持って人生を歩んでいる様な。
やはりもう一度「ペット・サウンズ」を取り戻そうと思います。

普段町中で流れないクリスマスソングを拝聴できて、とてもほっこりしました。
慈愛の様な、包まれてる様な感覚です。

個人的に、「空気を読む」の英語が「部屋を読む:read the room」と言うのに感心しました。村上春樹先生の英語講座、為になります。

素朴な疑問をたくさん持って、好奇な眼差しで世界を眺め、観察し、考えて、生きて行こうと改めて確信しました。


第4回も楽しみにしております。


村上春樹先生、スタッフの皆様、良いお年をお迎え下さい。

※3時間までタイムフリーで聴けるので、いまももう一度聴いてます。

何度聴いてもいいですね。

村上春樹先生のヴォイスの倍音が、パーソナルな何かを届けてくれてます。

ありがとうございます。

村上コレクション、一度手離してしまったので、今、リハビリの合間に、ようやくここまで取り戻しました。

何度読んでも新たな発見がありより深く探求したいと言う好奇心に駆られます。

第3回村上Radioプレスペシャル

12月9日にTOKYO-FMで放送された「村上Radioプレスペシャル」をタイムフリーで視聴しました。

予想通り、第3回は12月16日(日)19時から放送されます。

◉TOKYO-FM「村上RADIO」HP:https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

第3回は「村上式クリスマスソング特集」と言う事で、「カバーの鬼」の村上春樹先生がどんな曲のどんなカバーを掛けて下さるか、今から楽しみです。

WIZ RADIOで「Q&Aディレクターズカット版」を限定配信しているとの事なので、早速、WIZ RADIOをダウンロードしました。

タイムフリーで拝聴してる「村上Radioプレスペシャル」を巻き戻して聴いているので、聴き終わったら、「Q&Aディレクターズカット版」5回分を拝聴しようと思います。

※radikoのタイムフリーは1つの番組を2時間まで聴けるので、1時間番組だと、最大2回聴けます。

いよいよ明後日、12月16日(日曜日)。第三回「村上Radio」楽しみです。

どんなこぼれ話が出てくるか、楽しみです。

『ポートレート・イン・ジャズ』も再読して予習しときますヾ(´∀`*)ノ

竹内薫先生の名著『ペンローズのねじれた四次元・増補新版』待機中

竹内薫先生の名著『ペンローズのねじれた四次元・増補新版』の冒頭を少しだけ拝読しました。

とても刺激的で、続きを早く読みたいのですが、風邪による目眩とだるさによって阻まれています。

早く風邪を治して、ペンローズについて、何度でもアンダーラインを引いて行きたいです。

本物は、最初の冒頭部分を読んだだけですぐに分かります。

「これは、私に向けて宛てられたパーソナルなものなのだ。」

「この本を読み込んで、たとえ理解できなくても何度も読んで、滋養として、いつか何かと繋がって理解が深まるまで留保しつつ、知的好奇心を深めて行きたい」

と思えるものに出会える瞬間の純粋な喜びが、またありました。

己の「無知の知」を知り、だからこそ、探究心と知的好奇心を持って、貪欲に吸収して行きたいです。

可塑性を失わず、これまでの価値観を覆してくれそうなものを、進んで受け入れる心を持ち続けて行きたいです。

『機動戦士ガンダムUC〜虹にのれなかった男〜ブライト・ノアストーリー』

『機動戦士ガンダムUC〜虹にのれなかった男〜ブライト・ノアストーリー』を読了しました。

ニュータイプを見届けてきた男 ブライト・ノアの目を通して、「ファースト・ガンダム」から「Z」「ZZ」「逆襲のシャア」までの追憶と、アムロ・レイ、カミーユ・ビダン、ジュドーアーシタらとの心根の約束を綴った名著でした。

そして、それは「ガンダムUC(ユニコーン)」へと続く布石でもありました。

実際、シナリオはユニコーンの監督が描かれてます。

2019年で「ファースト・ガンダム」本放送開始から40周年と言う事で、プロジェクトが組まれています。

◉「機動戦士ガンダム40周年プロジェクト」公式サイト 〜BEYOND〜
http://gundam40th.net

そして、そのプロジェクトの中核に富野由悠季先生渾身の名著『閃光のハサウェイ』の劇場映画化が決定しました。

ハサウェイ・ノア。ブライトの息子として、小さな頃から身近にニュータイプを見て感応してきたハサウェイ。同時に、コンプレックスを内包して来ました。

「逆襲のシャア」の時、ブライトやアムロの乗るラー・カイラムに密航し、ジェガンを盗んで戦場で何かを感得した。

クェスと言う少女の面影に囚われ、戦場で自我を見失った果てに生き延びたハサウェイ。

劇場版と小説とノベライズでパラフレーズしていて結末は別れています。

可能性として、ある時はクェスを殺し、ある時は、クェスを殺した味方を撃った。

『機動戦士ガンダムUC〜虹にのれなかった男〜ブライト・ノアストーリー』では、連邦軍査問会議で証言させられたブライトも、可能性として残しています。

そして最後に見たあの虹の光について、ニュータイプ神話と無関係だと語ることを強要された時に、三度ブライトはアムロ、カミーユ、ジュドーらニュータイプの『声』を聴く。

ニュータイプを見届ける役をブライトは引き受けることを決意する瞬間までを描いた名著でした。

そして「ユニコーン」「ナラティブ」へと続き、ハサウェイの生き様を見届ける役を担うことになっていく。

『閃光のハサウェイ』は私が、ガンダムシリーズの中で最も好きな作品です。

劇場版が、40周年プロジェクトが始まる前に、『機動戦士ガンダムUC〜虹にのれなかった男〜ブライト・ノアストーリー』を読めて正解でした。

私は、一体どちら側なのだろうか。

「良いインディアンとは、死んだインディアンの事だ」(村上春樹先生)

それでも生き残った我々は、何をすべきなのか。

「未来へ可能性を遺してゆく」

ガンダムを追体験してきた私には、富野由悠季先生がガンダムに込めてきた「ニーチェの思想」がたっぷりと薫習されています。

「死ぬまでヤングで」(津野米咲)

自分の信じる正義を、信念を、公正さを、誠実さを、可能性を信じて生きて行こうと改めて再認識しました。

あらゆるものと交感し、交響し、倍音を奏でて、「何か」を次代へと伝えてゆく伝燈の歴史の連鎖の中に身を投じて精進してまいります。